2012年8月25日土曜日

セロリの花とETLINGのボンボニエール

昨日の夕方、久々に雨が少しだけ降りました。
どれぐらい久しぶりかというと、記憶が定かではないのですが1ヶ月は降っていなかったような気がします。
雨が降らないと草木の多い我家の庭や畑への水遣りで、水道代が高くなるので困ります。
お散歩の時に新鮮な道草を食べるのが好きな私の子供達もかわいそうですし。今朝は庭も子供達も嬉しそうでした。

セロリの花ってご存知ですか?いえいえ、ラーメン屋さんのことではありません。
姉妹社の新着品の中に、セロリの花がデザインされたボンボニエール(キャンディボックス)があるのです。
売り手はミュール(野生の黒いラズベリー、ブラックベリー?)だと言っていたし、私も最初その類の果実のモチーフかと思ったのですが、どこか違うという気がしてよーく見ているうちにパッと閃いたのです。葉っぱがセロリに似ているなって。インターネットでセロリの花の写真を検索したらやはりそうでした。別にどうってことないのですが、些細なことでも自分が納得していない事を書けないという厄介な性質なもので、サイトに商品説明を書くための確証が見つかって溜飲を下げたという訳です。
そういえば我家の菜園に植えたセロリも木のように大きくなり、やがて花が咲いたのですが、地味なのでよく観てもあげなかったけれど、特に綺麗な花だったとも思えないのですが…。選りに選ってセロリの花をデザインするなんて変わってますね。

Edmond ETLING(エドモンド・エトリング)は、1920~30年代にパリに店を構え、オリジナル・ブランドの高級ガラス器や美術工芸品をプロデュースしたユダヤ系大商人でした。彼は当時の人気作家達を専属アーティストとして抱え、彼等の作品を雛型にして大手のクリスタルメーカーに発注し、自社ブランド製品として売り出したのです。ラリックの向こうを張ったオパルセント・クリスタルの型物は特に人気を博したようです。
これらの貴重な型は、製作を担当したクリスタル工場が預かっていましたが、1940年ナチス占領下のパリからユダヤ人強制収容所に送られたETLING一家の誰一人
として、戦後この遺産を相続すべく帰還しなかったといわれます。




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