2013年3月27日水曜日

安くて美味しいレストランABRI みいつけた!

久々の大ヒットです!
この3月1日に出た今年のミシュラン赤ガイドをペラペラしていて目に留まったレストラン"ABRI"アブリに行ってみました。
abriとは避難小屋とか隠れ場所とか雨をしのぐ屋根のある停留所とかを指すフランス語ですが、ミシュランには
『みんなが喜んで避難する極小のabri。有名レストランで働いた後パリで独立する若い日本人シェフが行列をなしている昨今だが、Katsuakiはまさしく日本的な繊細さをもってフランス料理への敬意を立派に表している。非常に良いカリテプリ(コストパフォーマンス)!』とのコメントが。星も付いていないのに随分褒められてます。
食べる事となると好奇心が抑えきれなくなる私は、早速ググってみました。するとフランス人グルメのブログに事細かにレポートされているではありませんか。レストランとも呼べないような店構えらしいけれど、めちゃめちゃ安くて美味しそう!
これは行くっきゃない、とすぐに電話予約を試みたのですが全然つながらない。
しつっこくトライしてやっと翌日のお昼の予約が取れたのですが、1時間で席を空けなくてはならないそうな。
生意気な!と思う反面こんなに混んでいるってことはもしかして?と期待に胸が・・・。

パリ北駅に近い庶民的でゴタついた界隈の小さな道に面していて、看板もメニュー入れも無く、まさかここじゃないよね?といった感じのファサードのガラスの内側に白いコピー用紙にプリントしたメニューが貼ってあり、小さく店名がありました。狭い店内の半分ぐらいがオープンキッチンで、小学校の教室の机と椅子みたいな客席が20席。小坊主のようなお兄さんがKatsuakiシェフらしく、黙々と料理に専念していらっしゃいました。

一番高いおまかせメニューが39ユーロ。それを所望したところ、お昼は22ユーロのおまかせメニューだけとのこと。エ~、わざわざ来たのに!と思ったけれど仕方ない。それでも前菜2品とメインにデザートなのでま、いいか。で、最初の前菜はスズキのカルパッチョ(左)、次の前菜はイカのポワレでした。量は少なめだけれど、それぞれしっかり作られていて、とっても美味しい!

メインはお魚かお肉か選べたので、二人でひとつずつ取り、いつものように半分ずつ味見をしました。魚はメーグル(ニベ科の大魚)のソテー、肉は地鶏のクリルで、両方とも香ばしく焼けていてしかも中はシットリ、付け添え野菜やソースもシンプルでいてスペシャル、たいへん美味でした。

デザートはショコラのマルキーズ。ミルクジャムのソースとほうじ茶のアイスクリームが絶妙でした。ワインもリーズナブルで良くセレクトされています。マルサネの2007年の赤は、安いのにとても芳醇で味わい深く、しかもカジュアルで後に残らない良いワインでした。
予約で満席なのに何人も来ては断られていて、夜はもっと混んでいて2ヶ月先まで予約でいっぱいとのこと。去年の8月に開店したというのに大繁盛です。また行かなくっちゃ。

ABRIの住所:92 rue du Faubourg Poissonnière  75010 Paris   tél: 01 83 97 00 00


2013年3月21日木曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その9-

先日ご近所に不幸があり、お葬式に参列するため初めて我が町のカトリック教会の中に入りました。
18世紀に建てられた教会らしいのですが、中は改装されて何ら見るべき所もない簡素なものでしたが、ステンドグラスの効能に今更ながら気付かされました。その日は小雨もぱらつく曇天だったにもかかわらず、大したこともないステンドグラスを通す外光は思いのほか明るく、赤や青のガラスが色鮮やかに素っ気無い教会の中に光と彩りを与えているのです。
外から見るとステンドグラスが嵌っていることさえ気付かない黒っぽいだけの窓なのに、不思議です。
普通の透明なガラスであったなら、中からはきっと曇り空の陰鬱な灰色が見えただけでしょう。
ステンドグラスって誰が発案したのか知らないけれど、凄いアイディア、と認識を新たにしたのでした。

【ボヘミアン・グラス】17世紀から19世紀まで
ボヘミアといわれても漠然と東欧という認識し持っていなかったのは私だけでしょうか?
地理的には現在のチェコ西部から中部にあたる地方を指し、歴史的には古代よりローマ、ドイツ、ルクセンブルグ家、ハプスブルグ家など色々な勢力に支配されてきた土地だったのですね。
この地でガラスが作られ始めたのは古く、9世紀頃からといわれますが、本格的にガラス産業が始まったのはプラハが神聖ローマ帝国の首都とされ、中部ヨーロッパの文化の中心となった14世紀以降、更なる発展を見せたのはハプスブルグ家のルドルフ2世が神聖ローマ皇帝として在位した16世紀末からといわれます。
この王様はたいへん教養に富み、学問や芸術を擁護し奨励した文化人であった為、多数の優れた芸術家や学者が集まり、プラハは大いに文化的繁栄を遂げたのでした。ボヘミアン・グラスを世界的レベルに発展させたのもこのルドルフ2世だったと言われます。

16世紀以前のボヘミアン・グラスはヴァルトグラス(森林ガラス)と呼ばれる類の素朴なレーマー杯やフンペングラス(大ジョッキ)などドイツ風なものが多く、16世紀から17世紀にかけてはヴェネツィアン・グラスの影響下にあり、スタイルも装飾技法もヴェネツィアン・グラスのそれを踏襲するものでした。
しかし、16世紀末にカリ・クリスタルが発明されてからのボヘミアン・グラスは、ヴェネツィアのクリスタッロを遥かに凌ぐ透明度とグラヴュールやカットに適した強度を得たことにより、独自のガラス工芸技法やスタイルを発展させてゆき、17世紀後半から18世紀にかけてはヴェネツィアを越えてガラス界の王座を獲得し、ボヘミアン・グラスの名を世界に轟かせたのです。
この隆盛期のボヘミアン・グラスには、ゴールドサンドウィッチと呼ばれる金箔や銀箔による切絵を二重の透明クリスタルで挟んだものや、シュヴァルツロットと呼ばれるカットグラスに繊細な黒エナメル彩をほどこしたもの、グラインダーによる精緻なグラヴュール彫刻をほどこしたものなど、格調の高い名品が多く見られます。
19世紀は衰退期に入り、ヴェネツィアン・グラスがボヘミアンに奪われた人気を取り戻そうと悪あがきをして品格を落としていったのと同様に、イギリスで発明された鉛クリスタルの勢力に負けまいと必死になるあまり派手な色ガラス製品を多く作るようになったと言われます。
この時期の代表的なものに、赤や黄色で表面を着色した無色ガラスにグラヴュールで鹿の絵や景色をグラヴュールした2色の花瓶や燭台、またオーヴァーレイと呼ばれる透明ガラスと乳白ガラスや色ガラスを何層か被せ重ね、カットで窓を空けたり、更にエナメル彩やグラヴュールを施したりする装飾的なガラス器があります。
こういった技法は現代のボヘミアングラスにも継承されていますが、19世紀のものは高い技巧と芸術性があり、現代ものとは美しさも値段も格段に違います。

画像はパリ装飾芸術美術館、コーニング・ガラス美術館、石川県立美術館、ヤブロネツ(チェコ)ガラスとジュエリー美術館、クリスティーズ・オークション、ギャルリー・アテナなどのサイトより拝借しました。画像の下のリンクをクリックすると、オリジナルページにジャンプし、詳細な画像や説明がご覧になれます。


《17世紀》
狩猟文エナメル彩フンペングラス  花文グラヴュールのクップ  グラヴュール二段式ゴブレット  カット・グラヴュールのタンブラー

《18世紀》
左からプライスラー作カット・グラヴュール+エナメル彩バッカス文酒瓶  カット+グラヴュール+フィリグラネ+金箔入りシノワズリ文グラス
グラヴュール+エナメル彩オパリーヌのジョッキ(上) 金銀箔サンドイッチのタンブラー(下) プライスラー作シュヴァルツロット彩グラス

《19世紀》
左からカット+クリスタロセラム+透明エナメル彩香水瓶(Harrach製)    カット+グラヴュール天使文タンブラー
オーヴァーレイ+グラヴュールのタンブラー(上) カットウランガラスの蓋物(下) 胴赤着色+グラヴュール鹿文花瓶 

《19世紀のオーヴァレイ作品》
19世紀中頃(左) 19世紀末(右) CHRISTIE'S Parisオークション 2005年6月30日のカタログより




2013年3月16日土曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その8-

前回のブログに春が来たようなことを書いたのに、2日後には一日中雪が降り積もり、再び真冬に戻ってしまいました。
昨日は9月末のブログで紹介したCHATOUの大骨董市に行って参りました。
朝寝坊をして出遅れ、こりゃ駄目だと思いきや、現地に着いたら絶妙なタイミングで理想的な駐車場所を確保でき、その後トントン拍子にお宝をゲットしました。
雪が残っていて寒かったし、滑ったり靴がグショグショになったりもしましたが、珍しい物を安く入手できて意気揚々と帰宅したのでした。滅多にないラッキーな日でした。

【ヴェネツィアン・グラス】16世紀から19世紀まで
イタリアやフランスでは専ら『MURANOガラス』と呼ばれておりますが、ヴェネツィアン・グラスはヴェニスのムラノ島で制作されたガラスのことです。
その歴史は古く、東地中海貿易によって栄えた海洋国家ヴェネツィア共和国(7世紀末~18世紀末)が東方貿易を独占していた13世紀頃、その貿易品の中でも特にヨーロッパ諸国に珍重されていたガラス製品を自国で生産して更なる利益を得ようと企画し、当時最も進んだ技術を持っていたアンティオキア(シリア)から原料や燃料、ガラス職人まで輸入し、首都ヴェネツィアにガラス産業を興したのが起源とみなされています。
こうしてローマ、イスラムと発展してきたガラス製造技術がヴェネツィアに受け継がれ、応用されて更に発展を遂げていったのです。
しかし、元々自国にはガラスを作る原料や燃料が無く輸入に頼るしかない状況下、原料を豊富に持つ国々にヴェネツィアン・グラスの技術が流出してコピーを作られることを恐れた国家は、1291年に保護政策として強制的に全てのガラス工房をムラノ島に移し、ガラス職人やその家族をも島に幽閉し、脱出者には厳罰を処し、功労者には手厚く褒章を与えるという法令を発したのです。この政策によって狭い島に密集した同業者は互いに技術を競い合い、ガラス工芸の水準は益々高まり、数々の名品が生み出されていったという訳です。
ルネッサンス期(15~16世紀)にその繁栄は頂点に達し、ヨーロッパ諸国の王侯貴族たちの間でヴェネツィアのガラス器やシャンデリアや鏡などを使うことが流行し、ヨーロッパからヴェネツィアへどんどんお金が流れていくのを各国の君主が黙って見過ごすはずもなく、密かに職人を引き抜き自国に呼び寄せ、独自のガラス産業を興すべく画策したのです。
こうして島外不出の筈だったヴェネツィアン・グラスの秘法も徐々に各国に伝わってゆき、各地でファソン・ド・ヴニーズ(フランス語でヴェニス式という意味)と呼ばれるガラスが作られました。
因みにヴェルサイユ宮殿の有名な『鏡の間』はムラノ島から連れ出された12人の職人によって作られたといわれます。

ヴェネツィアン・グラスは、鉛を含まないソーダ石灰を使用し、そこに色々な鉱物を混ぜることで様々な色ガラスを作り出しました。そして宙吹きによって極薄に仕上げる技法や、溶けたガラス種を細く伸ばして飴細工のように鳥や花や竜などのモチーフを造形し、器本体に溶着させて複雑な装飾をほどこすなど数々の高度なテクニックが用いられました。
この他にもクリスタッロ(水晶のように透明なガラス)、エナメル彩、金彩、レースガラス、ミルフィオリ、モザイク、アイスクラック、ダイヤモンドポイントによるグラヴュール等々現代用いられているガラスの装飾技法の殆ど全てがヴェネツィアで完成されたと言えるほど、多様な技法やスタイルが編み出され、精緻を極めたヴェネツィアン・グラスはヨーロッパ中を魅了しました。

17世紀になってカリ・クリスタルを開発したボヘミアン・グラスに王座を奪われ、またイギリスで発明された鉛クリスタルの勢力にも押され、衰退の一途をたどることになりますが、そのスタイルは根強く尊ばれ、模倣され続けたことは19世紀から20世紀にかけてのフランスのクリスタルリー各社(バカラ、ドーム、クリシーなど)の製品を見ても明らかです。

《16世紀》
エナメル点彩蓋付ゴブレット  船形水差し(上) ダイヤモンド・ポイント彫りコンポート(下) エナメル彩グロテスク文ゴブレット

《17世紀》
羽根文ゴブレット          黄白レース・グラス樽形酒壷          アプリカシオン装飾の水差し   

《18世紀》
エナメル彩オパリーヌのカップ&ソーサー  レース・グラス蓋付ゴブレット  レモンのオーナメント  メノウ文カップ&ソーサー

《19世紀》
花装飾モザイク鏡      宙吹きアプリカシオン装飾の蓋付壷   宙吹きアプリカシオン装飾のわらび形脚コンポート

《19世紀フランスのヴェネツィア風ガラス》
左から...DAUMコート・ヴェニシエンヌ(ヴェニス風縞目)のグラス BACCARATグラス"BEAUVAIS"(ボーヴェ)天皇家御用達モデル
CLICHYダイヤモンド・ポイント彫りコンポート   Eugène ROUSSEAU型吹きアプリカシオン装飾蓋付ゴブレット

画像は大英博物館、コーニング・グラス・ミュージアム、ROSE de CLICHY、パリ装飾芸術美術館、箱根ガラスの森美術館のサイトより拝借しました。(ほんの一部私のコレクションも...)

2013年3月9日土曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その7-

パリも急に春めいてきて、昨日など私の部屋の窓から蝶々が舞っているのが見えました。
庭の小さな花も咲き始め、だいぶ日が長くなってきた夕方には、高い杉の木の天辺などで歌ツグミや黒歌鳥が
ノド自慢コンクールをやり始めました。
少し中断してしまいましたが、きょうからまたガラスのお勉強の続きをします。

【イスラム・ガラス】8世紀から14世紀中頃まで
後のヴェネツィアンやボヘミアンはもとよりアールヌーヴォーやアールデコのガラス工芸にまで深く長く影響を及ぼしたイスラム・ガラスですが、その華麗なる大発展はローマン・ガラスやササン・ガラスの主な生産地をほぼ全て網羅する広大なエリアをイスラム世界がカヴァーした事に起因するといわれます。
ローマン・ガラスやササン・ガラスの伝統や技法を全て受け継ぎながら、芸術や学問や贅沢を好むスルタン達のバックアップを得て更にその技術を発展させたのです。
初期のものはササン・ガラスの名残を色濃く留めた円文装飾のシンプルなものや、レリーフカットで動物などを彫り出したもの、無色に色ガラスを被せてカットを施したカメオなどがあります。
素朴さを残しながらも、ガラスは薄くなってゆき、どんどん優雅さを増してゆきます。
11世紀にはエナメル彩色技法が考案され、これが13世紀から15世紀にかけてイスラムガラスを華々しく発展させることになります。
モスクランプや壷、杯などにエナメル彩でアラビア文字(コーランの一節など)を入れたり、アラベスク模様を金彩で描いたりした装飾的な美しいガラス器は『イスラムの華』とたたえられ、ヨーロッパのキリスト教世界からも欲しがられるほど有名になっていきました。
イスラム・ガラスは16世紀に一時衰退したものの、17世紀以降に復興して19世紀初頭まで続き、東西のガラス工芸に大きな影響を与え、ヨーロッパの近代ガラスもその技術の基礎の大半をイスラム・ガラスに負っているといっても過言ではないようです。

(画像はクリックすると拡大して見られます。オレンジ色文字をクリックするとミュージアムの詳細ページにリンクします。)
吹き+カットのカップ   型吹き+カット+アプリカシオンの水差し   兎文カメオの瓶   馬文レリーフカットのゴブレ

金彩+エナメル彩の花瓶    アラベスクと人物文金彩+エナメル彩の巡礼者用瓶    エナメル彩のモスク・ランプ

鵞鳥首薔薇水撒水瓶2点  エミール・ガレ作モスクランプ型花器 1878年製  ブロカール作ネオ・イスラミック瓶 1865-1880年製   




2013年3月3日日曜日

B&Bが7歳になりました!

B&B、Boku & Betty、私の最愛の子供達が昨日7歳の誕生日を迎えました。
あの子達は、7年前にパリ1区のSaint-Anne通り(パリのど真ん中)で生まれた生粋のパリっ子です。
心優しいママUlmaと、自己中で子供っぽいパパVinciの間に生まれた6匹兄妹の中から、縁あって私達の養子として選ばれた子達でした。
Bokuは実母に似て優しい性格、Bettyは実父そっくりの我儘で甘えん坊です。姉弟仲が良く、食べ物や玩具や寝場所の争奪戦はするけれど、強い姉弟愛と信頼関係で結ばれているのがよく分かります。
フレンチ・ブルドッグは丈夫そうな見かけに反してとてもデリケートな犬種のようです。BB達もお医者にかかった事は何度かあるし、常に小さな問題は抱えているけれど、大病もせず、ここまで健やかに育ってくれたことに誰へともなく感謝の気持ちでいっぱいになります。
どうか、これからもずっとずっと元気でいてくれますように。

パリのオペラ通りにある日本人女性がオーナーのペット用品店で、プレゼントを選びました。このお店は首輪や洋服の品揃えが凄いです。本当はサントノレ通りのGOYARDで何か買ってあげたいと思っていたのですが、やはり私達のような貧乏人には敷居が高過ぎて…。

7本の蝋燭を立てたチーズケーキを前にして、なぜか緊張気味。

プレゼントのバンダナ付き首輪をしておスマシ。

このケーキ、まだ食べちゃいけないのかなぁ?

2013年3月1日金曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その6-

あっという間にもう3月…。明日(日本時間では既に今日)はウチの子供達の7歳の誕生日です。まだプレゼントもケーキも準備していません。お天気が良かったらパリに連れて行って何か買ってあげようかな。

【ササン・ガラス】3世紀中頃から7世紀中頃まで
ササン・ガラスとは、ササン王朝時代(226年-651年)にササン朝ペルシャで作られたガラスのことです。ペルシャと言われても私なぞはペルシャ猫とかペルシャ絨毯とか『ペルシャの市場にて』などばかり思い浮かべてしまい、恥ずかしながら地理的にも歴史的にもちっとも把握しておりませんでしたが、現在のイランのことなのですね。
ササン朝時代は西からキリスト教、東から仏教の波が押し寄せてくる中でゾロアスター教を国教とし、キリスト教の東方への浸透と仏教の西方への浸透を阻む役割を果たし、同時に東西の文明の交差点として重要な位置にあり、早くから中国やインドとも係わりをもった帝国でした。
ローマに攻められ、続いて新興のイスラム勢力に攻められて滅亡しましたが、ササン朝文化はイスラム時代にも多大な影響を残したばかりか、遠く韓国および日本までその遺品を残したことは、正倉院のガラス類が証明しています。
ササン・ガラスの特徴は一口に言って円文装飾のガラスといってもいいほど(由水先生の言)、カットやアプリカシオンなどの技法によって削られたり突出させたりした円形の連続模様が施されていて、全体のフォルムもまた丸いのが典型的です。概して厚ぼったく、シンプルで、ローマンガラスはおろか古代のガラスよりも見た目には素朴で稚拙な感じさえしますが、高度な技術が駆使されているとのことです。何か大らかで暖かいものが感じられるガラスです。

型吹き+アプリカシオンのボウル       吹き+カットの瓶      型吹き+カット+アプリカシオンの杯またはランプ

(左上)吹き+カットのカップ  (左下)吹き+流し込み+カットのカップ  
『ソロモンのクップ』と呼ばれるホストー2世の皿 金、水晶、ガーネット、ガラスのマルケットリー(フランス国立図書館蔵)

白瑠璃碗(正倉院蔵)   瑠璃坏(正倉院蔵)     韓国・松林寺環文舎利杯(韓国国立中央博物館蔵)