2012年11月18日日曜日

里帰りしてます

1週間もご無沙汰をしてしまいました。
今、1年ぶりの帰国で実家に滞在中です。日本は暖かいですね。東京の紅葉はパリよりも遅く、楽しみにしていたのに
まだのようです。フランスに帰るまでには真っ赤なのが観られるかしらん?

きょうは母と一緒にコンサートに行ってきました。日本でコンサートに行くのは何年ぶり、いや何十年ぶりかも知れません。
大友直人氏指揮で日フィルのベートーヴェン交響曲第7番、後藤正孝氏のピアノでリストのピアノ・コンチェルト第一番他というプログラムでした。ベートーヴェンもリストも私のお気に入りの作曲家ではないし、演奏者についても恥ずかしながら全く知識を持たず、ただ両親が年間予約をしてある席とチケットがあるから行っただけだったのですが、感動しました。
文字通りの生の音楽は、聴くというよりもっと能動的に演奏者と直接係わりあうことなのだと今更ながら認識を新たにしました。
Bravo!と声をかけたくなる人の気持ちがわかりました。これほど素直にひた向きに音楽を体で楽しんだのは久しぶりです。
この頃は右手の小指が痛くてピアノからも遠ざかっており、専ら録音された音楽ばかり聴いていたけれど、億劫がらずにもっと音楽会に行かなくては!

ここ(実家)でも物を飾るための台と化している私のピアノ


とある蕎麦屋の入口に生けられていた花





2012年11月11日日曜日

パリ11区バスティーユの骨董市

一昨日バスティーユの大骨董市に行ってきました。
年2回春と秋に開催され、350軒ほどのスタンドがバスティーユ広場に接したヨットハーバー沿いに所狭しと並びます。
70軒のantiquaires(アンティケール=骨董商)は暖房完備の特設テントの中に広いスタンドを構え、280軒のbrocanteurs
(ブロカンター=古物商)が屋外の半オープンなテントで11日間毎日お店を広げます。
前回はたったの3点しか買えず骨折り損でしたが、今回はまあまあの収穫がありました。きょうは戦利品をチラッとお見せ…するのはやめておきます。何故かと言いますと、目聡い読者さんが何人かいらっしゃいまして、姉妹社ショップに公開する前に目を付けられて狙われてしまったりするのです。下見されなかった方が気の毒ですよね。

アルスナル港と呼ばれるパリ市内唯一のマリーナは、サン・マルタン運河の起点になっており、運河巡りの観光船キャノラマの発着場所でもあります。このマリーナに船を繋いでいるお金持ちは、ここからセーヌ河に出て、海まで下るクルーズを楽しむのでしょうね。
バスティーユ広場の『7月の塔』の天辺にいる天使ジェニー・ド・ラ・バスティーユに見守られた小さな港、傍を通る度に何となく旅情がそそられてパリの私の好きな場所のひとつです。

かもめが舞うアルスナル港。正面に白く見えるのが骨董市のテントの一部。

広場を背にして右側の河岸に並ぶスタンド群。こちら側に比較的良い店が多い。

反対側の河岸。1本ずつトーンが異なる楓の紅葉が綺麗。

年代物の陶磁器を美術館のように説明付きで並べたスタンド。

初日だけれど平日なのでまだ歩ける。土日は縁日のような人出で歩けない。

ノエルのテーブルをディスプレー。特設テント内のスタンドではこんな演出も。

2012年11月6日火曜日

我が町、我がエリア

きょうは寒いけれど晴れました。昨日の夕方は雷雨、そして一瞬ですが霰まで降ったのですよ。
天気といえば、パリの15区で仕事をしていた頃、セーヌ河岸(左岸)にある勤務先から車で帰宅する道中セーヌ河を一回、
マルヌ河を一回渡るのですが、渡る度に天気がガラッと変わり、方角でまた変わり、30~40分の間に色々な空模様を体感したものです。パリは雨です、と言ってもパリの何処?って感じです。なんか当たり前で、どうでもよいことを言っておりますね、私。
TBSのネットラジオOTTAVAを聴きながら、番組の初めと終わりに必ず天気の話題が出るのを夫がいつも批判するのですが、これは農耕民族である我々日本人に先祖代々刷り込まれてきた独特で自然な意識なのかも知れませんね。
子供の日記も大人の日記も、書き出しは何月何日晴れ、とか書きません?軽い挨拶や手紙の枕だって時候関連の言葉ですよね。

話は変わって、昨日の散歩の時に撮った近所の写真ですが、同じ場所の今と昔です。
私の住む市の紋章にもなっていて歴史的モニュメントに指定されている18世紀の(扉のある)東屋、パヴィヨン・ド・トゥーレル。
18世紀のお城(今は市役所の別館)の庭園(10haあった)の入口に位置したとのことですが、19世紀(1885年)に我家の2軒置いて隣のお城シャトー・ド・トゥーレルが建てられた時に、本家のお城との間に新たに城壁が出来て、庭園は2分され、それ以来はこちらの新城の正門になったと、案内板に書いてあります。昔は泉や池、農園もあったそうな。
1954年にこの城壁に囲まれた城の庭園は国鉄に売却され、100軒ほどの分譲住宅が建てられました。この住宅地は小さな自治体になっており、我家もその中の一軒で、17年前から私達はここの住人なのです。
とりとめのない、だからどうした?なブログで、お退屈さまでした。


20世紀初頭の絵葉書(下は案内板に印刷されたもの)

現在(昨日の朝)の姿。住宅のためシャトーが見えないけれど健在。

現在は門柱の飾り鉢と鉄の門扉が無くなり、車道になっている。

門を入って最初の家のお庭。今は季節柄花が乏しいが、マダムが
丹精込めた園芸はいつも市のコンクールでグラン・プリを受賞している。

2012年11月3日土曜日

アールヌーヴォーな花 ダチュラ

冬時間になったら、めっきり寒くなりました。
ふつう夏に咲く花なのに、ダチュラが蕾をいっぱい付けて狂い咲きしそうだったところ急に寒くなり、咲かずに枯れては可哀相なので
玄関に入れてあげました。温か過ぎるのか葉は黄色くなってどんどん落ちてしまいましたが、見る見る花が咲き出して、夜になると
家中ダチュラの香りが漂います。ダチュラの花の形は実にアールヌーヴォー的で、大好きです。






去年はお休みで全然生らなかった柚子の大木が、今年はたくさん実をつけており、もうずいぶん大きくなって色づいてきました。こないだ一つ採って使ってみたら、とても鮮烈で良い香りでした。以前は日本に帰る度に数個買ってきて冷凍して大事にチビチビ使ったものでしたが、ここ数年前から売るほど採れるようになったのです。実家におみやげに持っていこうかな。


2012年11月1日木曜日

フランスのアンティックにおける時代様式について Ⅲ

この稿を誤って一旦削除してしまい、他のBloggerメンバーの方のアドヴァイスによって見つけることができました。
ヤレヤレ!バックアップも取っておかなかったので真っ青になりましたよ。シリーズものなので再投稿します。

【 第二帝政時代(Second Empire=ナポレオン三世)様式 】1848年-1870年
通称Napoleon Ⅲ(ナポレオン・トゥロワ)と呼ばれ、一般にはルイ・フィリップ以降アールヌーヴォー以前といったアバウトな時間的な意味合いで言われることが多い。というのも実は明確で典型的なスタイルというものが無い、或いは様々な様式が少しずつミックスされたスタイルとも言える。基本的なラインや特徴的なパターンやモティーフも無いが、それでいて一貫した趣味というか一種の時代感覚や流行の傾向は確かにある。言葉で表現するのは難しいが、全般的に華美で装飾的であり、懐古趣味、シノワズリーやコロニアリズムに見られる異国趣味などが挙げられよう。
具体的には赤のビロードや絹サテン地をふんだんに使ったインテリアやキャピトネした家具、シノワズリを反映した黒っぽい木材や
パピエ・マシェ(紙粘土材)に螺鈿風な装飾を施した家具や小物、竹や紐をを模したデザイン、黒人の奴隷に掲げさせたり支えさせたりしたデザインの照明器具やテーブルなど。また銀器や陶磁器類に見られる繊細で優美な細工や絵付けも独特である。
懐古趣味としてはルイ14世風なBoulleスタイルの象嵌細工の家具、ルイ16世風な楕円やリボンや花のモティーフなどが見られる。
こうした趣味や流行の多くは、ナポレオン三世の皇妃ユジェニーより発せられたとも言われる。


ナポレオン三世の命によって建てられたパリのオペラ・ガルニエの華麗な内部 (左は写真、右は当時の絵)


螺鈿を真似て貝や金属を象嵌した装飾の壁時計。
シノワズリとルイ16世風(文字盤)がミックスされている。


【 アール・ヌーヴォー様式 】1890年代-1910年代
Art Nouveau アール・ヌーヴォー とは、『新しい芸術』を意味するフランス語で、19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米に起こった美術運動、またその様式を指す。イギリス人が使い始めた言葉で、逆にフランスではモダーン・スタイル、ドイツではユーゲント・シュティル、イタリーではスティレ・リベルティーなどと呼ばれた。現代のフランスではStyle 1900(1900年スタイル)と呼ばれる事が多い。国や作家による多様性は見られるが、共通項が有り、一つの確立された様式といえよう。その特徴を最大公約数的に総括するならば、流動的な曲線美。ルイ15世風スタイルに似ていなくもないが、更に自由でしなやかでエンドレスな曲線である。ナポレオンⅢからアールヌーヴォーに至るまでの間に流行ったジャポニズム(日本趣味)の影響も少なくない。偶数より奇数、直線より曲線、硬さより柔らかさ、左右非対称性、植物モティーフ、厳めしさより優しさ、こうした性格はジャポニズムから触発されていると思われる(私見)。しかし日本的なあっさりした風味は微塵も無く、飽くまでも西洋的で粘り気の強い、こってりとしたバター味ではある(私見)。建築分野では、鉄やガラスの多用、タイルのモザイクやフレスコ画の装飾が特徴的。調度品では、電気の普及により照明器具類に多く応用が見られる。家具類は木彫や寄木で芸術的、絵画的な装飾がほどこされた優美でロマンティックなものが多い。
この時代には建築や装飾美術のデザイナー、いわゆる作家が活躍し始める。それまで職人芸として滅多に作品にサインされる事もなかったものに名前が表れるようになる。


アールヌーヴォー様式の最初の建物と言われるブリュッセルのタッセル邸。
ベルギー人の建築家Victor HORTAによって1892-1893年に建てられた。


1900年にフランス人建築家Hector GUIMARDが設計したパリのメトロの入口(左)
Victor HORTAのデザインによるブロンズの置時計。時計そのものは既製品(右)


Emile GALLE 桜文ランプ(左) Alfons MUCHA 1896年作 椿姫のポスター(右)

アールデコまで行くつもりでしたが、予告に反して少々しつこくなってきてしまい、時間切れとなりました。(子供達のお散歩の時間です)続きはまた、明日ということで。さようなら。



フランスのアンティックにおける時代様式について Ⅳ

昨日の続きで、今度こそシリーズの最終稿になります。
現代では1940年代以降も既にアンティックと看做されつつありますし、50年代、60年代のスタイルというものも確かに
分類可能ではありますが、私の得意とするジャンルではないので言及しません。

【 アール・デコ様式 】1910年代-1930年代
ART DECO アールデコ とはアール・デコラティフ(装飾芸術)の略語で、1925年に開催された博覧会の名称に因んだ言葉だが、一つの時代様式を指す。アール・ヌーヴォーと連語のように使われことが多く、両者は混同されがちだが、むしろ対照的な性格を持つ全く異なる様式である。もっとも1910年代の初期アール・デコ(当時は未だそう呼ばれていなかったが)は、アール・ヌーヴォーの名残りを留めた優美なラインやモティーフが見られる。
アールデコのエッセンスとしてまず挙げられるのは、直線志向への復帰。耽美的なアールヌーヴォーへの反省もしくは反発かも知れない。(もういい加減クネクネするのは止めてビシッとしなくっちゃ、みたいな)そして過度な装飾性を省いたシンプルで幾何学的なデザイン。具象より象徴および抽象。単純なように見えて或る意味深く、知的ともいえるスマートさ。色彩的には多色よりモノトーン、またコントラストの強い配色が好まれる。アールヌーヴォーの細長いフォルムと正反対に重心の低い安定性のあるフォルムが主流。

格式あるコンサート・ホール、パリのテアトル・デ・シャンゼリゼ。1913年建造

Rateauによるジャンヌ・ランヴァン(オート・クチュリエ)の風呂場 1924-1925年

同じくRateauによるランヴァンの居間(左)
スペインの貴婦人の為にRateau がデザインしたドレッサー(右)

R.Lalique コキーユの吊りランプ 1920年代(左)
Baccarat バッカス文キャラフ 1930年代(右)