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2017年1月26日木曜日

バカラの金具

フランスは全国的に相変わらず寒い日が続いております。
コルシカやアテネに雪が降ったり、ヨーロッパ全体が凄い寒波に襲われているようで、今年は新年早々異常気象です。
私は風邪もすっかり治り、こないだの土曜日は-4℃の凍てつく朝、健気にも蚤の市をハシゴして宝探しをして参りました。

前回はバカラのサインについて勉強しましたが、きょうはサインが無いバカラ製品をどうやって見分けるかというテーマです。
鍵はいくつかありますが、今回はその一つの鍵になる金具についてまとめてみました。
グラス類は金具が付いていることは滅多にありませんが、花瓶や鉢や蓋物などにはブロンズや銀などのメタルの台座や取っ手や蓋などが付いたものが見られます。
特に1880年代のジャポニズムや、1900年頃のアール・ヌーヴォーのものに多く、シンプルなデザインのものから非常に凝ったリッチなものまで色々あります。
これらの金具にはよくよく見るとバカラのマークが小さく刻印されているものもありますが、無いものも少なくありません。


これらの金具がどのように使われているかを下の画像でご覧ください。


 梅を模ったブロンズの台座は、ジャポニズム作品の定番的なもので色々なサイズや形がある。
金色に塗装された鉛系のメタルの台座はアール・ヌーヴォー風な絵柄の金彩のものに多い。

サクランボ、獅子頭、宿り木、東洋風、グラヴュールの柄に合わせたものなど。
下段左は、ビスキュイ・オリベ(ビスケットメーカー)用。

ビスケットジャー(下)の蓋のつまみの形が特徴的。このタイプは裏の留め具にバカラマークの刻印がある。
(左右の端と右から2番目の花瓶の画像はクリスティーズ他のオークションのカタログから拝借)

稀少なリッチ・ヴァージョンの金具付花瓶群。
(ロンドンのアンティックディーラーSINAI and SONSのサイトから拝借)

2015年1月22日木曜日

テーブルを飾るアンティックな花々

今年の目標の一つとして年明けに公言した『少なくとも週に一度はブログを更新する』を早速破っております。駄目な私です。
先週は恒例のルアンの骨董市に行って参りました。出展者は益々少なくなっていて元気の無い市でしたが、収穫は思いの外あり、買付け客も少なかったおかげで皆けっこう負けてくれました。

昨日から初荷をご披露するための準備を始めましたが、作業に集中し始めるとまたぞろブログが更新できなくなるので、お花のテーマに絞り込んでチラ見せしちゃいます。

蘭の花がエッチングとエナメル彩で描かれたバカラの大きな花瓶

ケシ、アヤメ、チューリップなどの装飾がほどこされたアールヌーヴォーな銀器類

タンポポが描かれたバカラのジャポニズムな花瓶

マルセル・グピー、ルネ・ラリック、バカラのガラス器

2014年11月7日金曜日

バカラ250周年記念 《LA LEGENDE du CRISTAL》展 -その2-

秋が深まってまいりました。パリは昨日から突然寒くなり、朝など気温が5~6℃しかありません。
今日から秋のバスティーユ大骨董市が始まりました。
搬入日の昨日一回りして来ましたが、今日もまた宝探しに行って参りました。
脚が疲れましたが、普段の運動不足の解消も兼ねて(きょうは)休まず、飲まず、食わずで頑張りました。

さて、バカラ展の続きをご覧下さい。

色被せグラヴュール(エッチング)花瓶とパンチ・ボウル 1867年

1867年のパリ万博出品作品。
中央はSimonの花瓶と呼ばれるバカラの代表作(Simonはグラヴュールを施した彫り師の名前)

同じく 1867年のパリ万博出品作品。古代エジプトやギリシアのモティーフが使われている。

ロレーヌ地方はビールの本場だけにバカラにはビール用の凝ったグラス類が多い。
左はグラヴュールのビールセット1878年。右は1867年パリ万博出品グラヴュールの水のセット。

氷を入れるポケット付きのピッシェ2種1860年代。シメール(キマイラ)のピッシェ1878年。

1878年パリ万博出品作品。アラブ風とイタリアン・ルネッサンスをミックスしたピッシェ。
チェス盤とチェス駒。駒を仕舞うコンパーティメントには赤い絹のキャピトネが敷かれている。

 同じく1878年パリ万博出品作品群。左手前はイタリア16世紀のラピスラズリ製クップとそれを模したバカラのクップ。一連のイタリアン・ルネッサンス風なカットグラヴュール作品。

エナメル彩と金彩で花や月が描かれた代表的なジャポニズム作品。やはり1878年パリ万博出品作品。

1878年~1880年はジャポニズムの最盛期だったようで、多くのジャポニズム作品が作られた。
でも、日本には棲息していなかった象が何故?

高さ65cmもある象のリキュールセット(ホテル・クリヨン所蔵品)。一連のオリエンタリズム(つまりアラブ風)作品。
しつこいようですが、殆どが1878年パリ万博出品作品です。

いかがですか?どれもこれも、まさに垂涎ものですよねぇ。バカラ展まだまだ続きます。次回をどうぞお楽しみに!

2014年9月8日月曜日

マイゼンタールのガラス博物館

BaerenthalのL'ARNSBOURGで至福の時を過ごした私達は、その余韻に浸りながらもお勉強と観光を兼ねてMeisenthalのガラス博物館に寄りました。
それにしてもアルザス・ロレーヌ地方には、昔も今もなんとガラス工場が集中していることでしょう。
Saint-Louis、Baccarat、Lalique、Gallé、Muller、Daum、名だたるガラスメーカーは皆この辺り、正にガラスの里です。
サン・ルイの近くにあるこのマイゼンタールのガラス工場で、エミール・ガレはガラス工芸の基礎を習得し、ナンシーに本格的な自社工場を開くまではガレのガラスは主にここで作られたのです。
アンティック・ガラスを半ば専門的に扱っているAntique 姉妹社の店長としては、ここを素通りする訳にはいきません。

ミュゼそのものは、小ぢんまりとしてローカルでアット・ホームな感じ。地元のご隠居さんみたいな人達(おそらくヴォランティア)が何人かで館内をガイドしてくれるのも微笑ましい。
階下は『ガラスが出来るまで』が素人に分かるような学習スペースになっており、階上がアールー・ヌーヴォーのガラスの展示室になっています。
ラリックやサン・ルイのミュゼのように然るべき学芸員やデザイナーによって運営されている本格的な美術館という雰囲気では全然なく、むしろガラス専門の高級アンティック・ショップのようでした。
規模は小さいけれど、なかなか素敵なコレクションで、ガレの初期のエナメル彩作品やDaum、Mullerなどもありました。
特にここで制作されたデジレ・クリスチャンなどの手になるBurgun Schverer & Cie社の作品は、他では滅多に見られない稀少で美しいもので感動しました。

後でカタログか本を買えば良いと思って、説明を見ずに作品ばかり鑑賞したのは失敗でした。そんな気の利いた資料など売っておりませんでした。
そういう訳で、解説抜きの写真だけですが、よろしければご覧下さいませ。
MMM(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド)のサイトに掲載されているマイゼンタールに関する記事もご参照ください。










2014年2月17日月曜日

アンティーク・ガラス用語豆辞典 《タ行》

日本はあちらこちらで大雪だとか…。
大変な目に遭っている人々には申し訳ないので大きな声では言えませんが、正直なところちょっと羨ましいです。
ソチ五輪、こちらは時差-3時間なのでちょうど良い時にTVで観られます。
フィギュアスケートの羽生結弦選手(フランスの記者はユジュリュ・アニューと発音)やジャンプの葛西選手の勇姿もしっかりライヴで観て、手に汗を握り、胸を熱くしました。
フランス生活の方が長い私ですが、やっぱり日本人。絶対的に日本の選手を応援してしまいます。
浅田真央選手もがんばって欲しい!今からドキドキしてます。


ダイヤモンド・ポイント彫り diamond-point engraving
先にダイヤモンドの細片を取り付けたペンシル状の道具を用い、点刻、線刻で模様を彫るガラスの彫刻技法。16世紀のヴェネツィアン・グラスでレース模様を彫るのに使われた技法で、後にオランダ、イギリスなどに伝わり、絵画的で繊細な加飾法として発達した。

チップ chip
ガラス器の縁などにできた小さな浅いカケ。和骨董の陶器類でいうホツにあたる。   

宙吹き(ちゅうぶき)
溶けたガラス種を吹き竿の先に巻き取り、空中で息を吹き込み風船のようにガラスを膨らます成形技法。型を使わずに竿を回しながら吹き加減で基本的な器のボディーを作る。紀元前1世紀後半ローマン・ガラス時代に発明された技法で、これにより一挙にガラス器が普及したといわれる。現代でもハンドメイドのガラス器制作に広く用いられている技法である。


チューリップ tulipe
電球を包むような形で口が開いているガラス製のランプシェードを指すフランス語。花のチューリップのような形状による呼称。因みに笠型シェードや、口が開いていない球形や紡錘形のシェードは別の呼び方がある。

ツイストステム twist stem
無色透明なグラスの脚(stem)に空気や不透明ガラスの捻り(twist)模様を封入した加飾法。18世紀のイギリスのグラスに多く見られる。

トンボ玉(ビーズ)
穴の開いたガラス玉のことで、古代エジプトやメソポタミアでネックレスなどの装身具の材料として作られていた。トンボの目のような模様を付けたものが多いため日本ではトンボ玉と呼ばれるようだが、欧米ではアイ・ビーズ(eye beads)と呼ばれる。


2013年5月26日日曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その15-

ちっとも天気が回復しません。
昨日の朝は5℃、日中でも8℃という寒さに加え、時折雨風も吹き荒れて最悪でした。
おまけに注文したガラスのシェードが粉々になって届き、気分も真っ黒に荒れ模様。
今朝も灰色の雲が空を覆っているけれど、なぜか晴れ間が見えて来そうな予感がして、心の気圧計も上昇中です。

と、書いたのは昨日の早朝だったのですが、私の予感が的中して午後から天気も気分も晴れました!

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《パリ派 Ⅱ》

Philippe BROCARD フィリップ・ブロカール (1831-1896)
パリ派のガラス作家の中で最も早くから、最も特異な作品を世に送り出したアーティスト。
彼は古美術品の修復を職業としていたが、或る時パリのクリュニー美術館で見たモスク・ランプに魅せられ、自らイスラム・ガラスの蒐集と技法の研究、制作に励む。試行錯誤を繰り返した末、ついに完璧にイスラム式エナメル彩ガラスの技法を独力でマスターし、1867年には万博に初出品を果たす。その後もエナメル彩ガラスの第一人者として数々の展覧会で受賞を重ねる。彼の作品は、模様を縁取りし厳密に色止めされた精緻な多色エナメル彩で素地を覆い尽くした豪華絢爛たるもので非常に美しく、13~15世紀の『イスラムの華』と称された本物のイスラム・ガラスの名品に優るとも劣らない完成度の高いものと評される。フランスの国立美術館はもとより大英博物館やコーニング・ガラス美術館にも所蔵されている。

Frères PANNIER パニエ兄弟 (1853-1935/1944)
ジョルジュとアンリのパニエ兄弟の名前を知る人は少なく、"Escalier de Cristal"エスカリエ・ド・クリスタル(クリスタルの階段)という彼等の店の名前の方が有名である。パリのオペラ座界隈に1802年から1923年まで続いた高級工芸品店で、陶磁器、クリスタル、ブロンズなどを扱い、各国の王室や有名人を顧客に持つパリのエレガンスとリュックスの象徴のような店だったという。
オーナーは何度か変わり、パニエ兄弟は1890年~1923年最後のオーナーとなった訳だが、彼等のジャポニズムとアールヌーヴォー趣味に徹した品揃えはエミール・ガレをして『恒久的展覧会』と言わしめるほどのものであったようだ。
バカラ、ガレ、ティファニー、マジョレルなど当時の一流どころに特注した品を更に彼等のアトリエで加飾し、店のサインを入れてオリジナル商品としたが、それに飽き足らず、彼等自身がデザインをしてクリシーのアペール兄弟のガラス工房で作らせたガラス作品もいくつかある。作品や商品の特徴は、ガラスやクリスタルの花瓶に鍍金したブロンズの装飾や台座を付けたリッチなジャポニズムである。

Amédée de (duc) CARANZA アメデ・ド・カランザ  (1843-1914)
トルコのイスタンブールに生まれ、若くしてフランスに渡る。音楽家、画家、陶芸家、ガラス作家というマルチ・アーティスト。ロレーヌ地方のロンウィやボルドー、南仏などで陶芸の仕事をした後、1890年から1914年頃までピカルディーのノワイヨンという町で工芸ガラス作家兼音楽家として暮らす。第一次世界大戦中に消息を絶つ。作風は非常に装飾的で、陶芸の技法を取り入れた銀彩、虹彩ガラスが多く、スタイルはジャポニズムからアールヌーヴォー、時にアールデコ的なものまである。作品は各国の美術館に所蔵されているが、市場に出回ることは滅多にない。

Auguste JEAN オギュスト・ジャン (1829~1896)
もともと陶芸家であったが1870年代の初め頃からガラス作家として活躍する。作品はクリスタルリー・ド・クリシーにて制作され、1885年にこの工場がクリスタルリー・ド・セーヴルに買収されたのと同時に彼は工芸ガラス界を去り、その後の消息は不明である。作品は宙吹きした色クリスタルを飴細工のようにデフォルメしたりアプリカシオンしたりして成型した器にジャポニズムなエナメル彩の絵付けを施したものが多く、自由奔放で奇抜なフォルムは人を瞠目させた。セーヴルやルグラに彼の作風を模倣したものが見られる。

フィリップ・ブロカール1870年頃 パニエ兄弟1890年 アメデ・ド・カランザ1900年頃 オギュスト・ジャン1880~1890年

画像はオルセー美術館、liveauctioneers.com/などのサイトより拝借しました。

2013年5月24日金曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その14-

実に丸々2週間もブログの投稿をさぼってしまいました。
その間に、私を取り巻く小宇宙がどのように変わったかといいますと、まず美しい筈の五月が梅雨かと思えるほど天気が悪く、おまけに薄ら寒いグレーな五月と化してしまいました。
そしてリラの季節が過ぎ去り、薔薇の季節が始まろうとしています。
五月の大事なイヴェント、バスティーユの春の骨董市があり、開催前日と最終日の前日の2回宝探しに出かけました。
友人のお腹の中に入っていた時から知っている女の子が、出産してお母さんになったというニュースに驚嘆し、時の流れをしみじみ実感しました。
姉妹社ショップに新着品をUPしました。お客様の反応が今ひとつで、空模様と同じくちょっと気分が薄曇りです。
でも、お天気といっしょで明日は晴れるかも、って私は結局『お天気屋』?
以上、この2週間のダイジェストでした。

長らく中断しておりましたガラス豆百科、再開いたします。
まだアール・ヌーヴォーの続きです。しつっこいですねぇ、全く。

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《パリ派 Ⅰ》
ナンシーより少し早く、1870年頃からアールヌーヴォーの兆しが表れ始めたパリ派のガラス工芸の最大の特徴は、ジャポニズムにあるといえましょう。ナンシー派におけるガレのように、その流れを創り、牽引したのはウジェーヌ・ルソーといわれています。
19世紀後半から20世紀前半にかけてパリ(郊外)には多くのガラス工場が軒を並べ、ガラス工芸が大いに発展しました。日本ではナンシー派に比べてあまり知られていないようですが、パリ派の工芸ガラスは欧米では人気があります。最近は関連の書物も続々出版され、とみに脚光を浴びている感があり、広く再認識されて値段もどんどん上がっております。
そんなパリ派のガラス作家(及びメーカー)とその作品をご紹介したいと思います。

Eugène ROUSSEAU ウジェーヌ・ルソー (1827-1890)
パリ派の代表的ガラス作家として知られているが、彼は広い意味でのクリエイターであってガラス工芸家でも製造者でもなかった。パリで陶磁器やクリスタルの卸売業を営んていた父を手伝い、後を継いだ経営者であったが、早くから日本美術に着目し、フェリックス・ブラックモンに北斎漫画をテーマにしたテーブルウェア(陶器)のシリーズを発注したりなど、オリジナルなジャポニズム(日本趣味)商品を企画開発し、ブランドを確立するに至る。自らもデザインや技法の研究に手を染めたが、実際のガラス制作はクリシーにガラス工房を持つアペール兄弟および優秀な彫師ウジェーヌ・ミッシェル、ジョルジュ・レイエン等によって実践された。
1885年からは友人で弟子でもあったエルネスト・レヴェイエが共同経営者となり、二人の名前で造られた作品は万博で受賞したり、国内外の美術館に買上げられたり当時より高く評価された。
ジャポニズムをはじめとする東洋美術にインスパイアされた造形と装飾、乾隆ガラスを真似たカメオ彫りや模玉ガラスの技法を取り入れた彼等の作品は、斬新でそれまでのヴェネチアンやボヘミアンのスタイルを踏襲していたに過ぎないフランスのガラス工芸界を大いに刺激し、流れを変えたといっても過言ではない。

Ernest LEVEILLE エルネスト・レヴェイエ (1841-1913)
1869年よりパリのオスマン通りに自分の店を構え、陶磁器やクリスタルの販売業を営んでいたが、1885年よりウジェーヌ・ルソーの共同経営者および共同制作者となり、1890年よりルソーの後継者として活躍。作風は初期には師のルソーに倣った硬い感じのものであったが、1890年以降は流行を反映して徐々にデフォルメされ、曲線的になり、華やかさを増したものへと変わっていった。

Eugène MICHEL ウジェーヌ・ミッシェル (1848-?)
ナンシーの傍のリュネヴィルでクリスタルのカットやグラヴュールをする職人だった父の子として生まれる。ウジェーヌ・ルソーに才能を見出され、1867年(19歳)からルソーのために、ルソー引退後はレヴェイエのために彫師として働く。その後パリで独立するも1914-1918年の大戦中に消息を絶つ。卓越したテクニックの持主で、カメオ・ガラスの制作に名人芸を発揮する。作風は師のルソーのジャポニズムを継承しながらも、独自の繊細な技術や感性を生かした花のモティーフなどの自然派作品が多い。ルソーとガレ双方の感性を併せ持つ作家と看做されている。

Georges REYEN ジョルジュ・レイエン (生没年不明)
1870年頃にはステンドグラスの彩色と彫刻をしていたが、その後エミール・ガレの為に彫師として働く。1877年頃ウジェーヌ・ルソーに注目され、彼の最も優秀な協力者として制作にたずさわる。作品はルソーによって触発されたジャポニズムとステンドグラス作家としての感覚を見事に融合させた非常にアーティスティックで、独創的なテクニックを駆使したものであった。最もオリジナリティを持った作家のひとりと評価されている。

ウジェーヌ・ミッシェル" 水仙"1900年頃、ジョルジュ・レイエン"野の草"1894年

以上、パリ派の核となるウジェーヌ・ルソー一派の人と作品についてご紹介しました。
画像は、パリ装飾芸術美術館、オルセー美術館、DROUOT.COMのサイトより拝借しました。

2013年4月9日火曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その10-

パリ市庁舎のセーヌ川に面した庭には木蓮の大木があり、毎年美しく花を咲かせます。
一昨日横を通ったら、いつの間にか蕾が大きく膨らんで今にも咲きそうにピンク色になっていました。
パリにも漸く遅い春が来たようです。
さて、長らく中断してしまいましたが、ガラスのお勉強を再開いたします。

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《ナンシー派 Ⅰ》
アール・ヌーヴォーは19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動です。
モダン・スタイルまた1900年スタイルとも呼ばれ、時代様式もしくは装飾美術様式のひとつとして認識されており、
うねるような植物的で複雑な曲線が特徴的です。私見ですが、ロココ様式やジャポニズムにも通ずる一種耽美的で独特なスタイルは、世紀末のあらゆる芸術に共通の妖しい美学が感じられます。
この伝染病的に流行したアールヌーヴォー運動は、工芸分野を起点として展開しました。そして素材として最も注目されたのがガラスだったのです。
ガラス工芸家に限らず、画家、陶芸家、宝飾工芸家、彫刻家、建築家などがこぞってガラスによる新しい表現の可能性に着目し、これを取り入れたり、自らガラス工芸を手がけたりしました。
こうして、それまでは主に実用のための素材であったガラスが、新たな芸術の表現素材として、更には芸術作品としてよみがえったのです。
アールヌーヴォーのガラス工芸に最初の礎石を置いたのは、パリのユジェーヌ・ルソー(1827-1891)と、ナンシーの
エミール・ガレ(1846-1904)だったといわれます。
共に1878年のパリ万博に出展し、評論家たちに絶賛され、ガラス工芸が世の注目を集めるきっかけを作ったのです。
アールヌーヴォー期のガラス工芸家は、後にパリ派とナンシー派と呼び分けられるようになるのですが、この二人の巨匠が各派の元祖、リーダーであった訳です。
作品の少ないユジェーヌ・ルソーに比べて、圧倒的に多作で組織的に工房を運営していたエミール・ガレは当時から今に至るまで知名度が高く、ガレ抜きにはアールヌーヴォーを語れないほどのビッグネームです。
作品の量のみならず、創作のスタイルや技法の独自性、芸術性、多様性でも郡を抜いており、古今東西を通じて最も著名なガラス作家と言っても過言ではないガレの作品をまずはご紹介したいと思います。

EMILE GALLE エミール・ガレについて
ガレその人についての記述は多く書かれており容易に検索することができますが、簡単にその生涯について記します。
1846年フランス東部ロレーヌ地方の都市ナンシーに生まれる。パリ生まれの父は元々画家で繊細なエナメル彩をよくするアーチストであったが、妻の実家の家業である陶器やクリスタルの販売業を受け継ぎ、これを発展させてオリジナル商品の製造販売をするなど意欲的に商売を展開していた。こうした絵心のある裕福な商人の家の一人息子として生まれたエミールは、大切にしかも大胆に育てられた。
地元での中等教育を終えた後、ドイツ留学やロンドン遊学、また合間にはマイゼンタールのガラス工場でガラス制作技術や会社経営法を学んだり、製陶工場に入り絵付けの仕事をしたりなどして、父の後継者となる為の修業をする。
こうして一通りの勉強を終えたエミール・ガレはついに1872年に自ら小さなガラス工房を作り、1874年からは父を説得して彼がサン・クレマンに持っていた製陶工場を整理させ、設備や職人をすべてナンシーに移し、陶器・ガラス工場を新設して本格的に高級ガラス器や陶器の製造を開始する。
1878年のパリ万博への出品と受賞(金メダル4個)を果たし、初めて世に美術家として名を知られるようになる。
1883年からは家具の制作も始め、寄木細工を主とする装飾的な家具はガラスに劣らず人気を博し、注文が殺到した。
この頃から亡くなる寸前の1904年まで、ほぼ毎年のように国内外の展覧会にガラス、陶器、家具などを出品し、大成功を収め続ける。
1904年、創作へのエネルギーを燃やし尽くした時代の寵児エミール・ガレは、数年前から少しずつ蝕まれていた白血病についに倒れ、9月23日、この世を去っていった。

ガレの作品は、時代や彼自身のスキルや心境の変化につれて様々な変遷を呈し、その特徴をひとことで言い表すことは不可能ですが、一部を除いてほぼ全ての作品に通ずる通奏低音のようなエレメントがあると思います。
それは、自然界への強い想い『憧れ、畏れ、愛』ではないでしょうか。生涯にわたって植物や昆虫を愛したガレは、自分のアトリエの扉に『私の根(原点)は森の奥深くに在る』と記していたとのことです。
経営センス抜群の企業家としての顔と、ナイーブで抒情的で職人的な芸術家の顔を併せ持つガレの作品が人々の心を捉え続ける魅力の源もこの辺りにあるのかも知れません。

画像はパリ装飾芸術美術館、コーニング・ガラス美術館、サザビーズ・オークション、クリスティーズ・オークション、写真家Cédric AMEYなどのサイトより拝借しました。説明文中のリンク(オレンジ色文字)をクリックすると、オリジナルページにジャンプし、詳細な画像や説明がご覧になれます。

《代表的な名作》
(左より)オダマキ文花器 1902年  『フランスの薔薇』杯 1901年  海藻と貝殻を纏った手 1904年 
(左から4点はナンシー派美術館蔵 右端は旧ルイス・C.ティファニー庭園美術館蔵 パリ・サザビーズ・オークションより)

《第一期工房作品  1874-1904年》
(左より)エナメル彩花器 1900年頃 (上)花蝶文プラフォニエ 1902-1904年 (下)月光色アイスクラック花瓶 1880年頃 (上)エナメル彩ガラス器4点 1880年頃 (下左より)鯉文花器 1878年  蜻蛉文悲しみの花瓶 1889-1890年     藤文花器 1900年頃 

《第二期工房作品  1904-1914年》
(左より)桜文ランプ 1906-1914年   ノワゼット文花器 1906-1914年   アブチロン文ランプ 1904-1906年  (上)クレマチス文小花瓶  (下)ナスタチウム文蓋物

《第三期工房作品 1918-1931年》
(左から)ボケ文花器  コモ湖風景文花器  シャクナゲ文ランプ  プラム文花器  象文花器