2013年8月31日土曜日

ミニヴァカンス1日目 ヴール・レ・ローズにて

こないだ反省したばかりなのに、また10日以上ブログをサボってしまいました。
実はもう帰宅してしまったけれど、3泊4日のミニ・ヴァカンスでノルマンディーに出かけていたのです。旅先から毎日レポートする予定だったのですが、ホテルの部屋でWiFiが通らず、PCはラウンジでしか使えなかったのです。
ノルマンディーは、全く行かなかった年が無いというほど昔からよく遊びに行く地方です。パリから車で2~3時間で行けるし、海が見たくなったら行き、牛や羊に会いたくなったら行き、美味しいものが食べたくなったら行くという具合に、気軽に行ける所なのです。
今回は、恒例の夏の終わりのプティ(今年は更に短くミニですけど)・ヴァカンスを兼ねて、またまた発見したかも知れない『安くて美味しい料理旅館』を実地検分するのが第一の目的でした。
この件についてのレポートは次回に回して、まずは第1日目に初めて訪問したVEULES LES ROSES ヴール・レ・ローズという村をご紹介します。

フランスで最も短い川と言われる1200mほどのヴール川に沿った海辺の村で、フランス国営放送の番組『2013年フランス人のお気に入りの村』で、フランス全土を対象にノミネートされた22の村に入り、最終的に6位に選ばれた所です。
その放送を見て、私達が昔から数え切れないほど釣りに通ったFECAMPの近くに、こんな名所が有ったのを知らなかった事を恥じ、これは行かなくてはと思っていたのでした。
夏の終わりとはいえ、まだ観光客が多かったけれど、しっとりとした静かな佇まいのこじんまりとした美しい村でした。
水源地にはクレソン畑があり、冷たく澄み切った水が滔々と流れ、細い流れは村の家々の間を縫って海へと続きます。清流には鱒が泳ぎ、水辺には花が咲き、瀟洒な家が並び、気持ちの良い散歩道があります。
1日目は曇っていたけれど、3日目に再び訪れた時は晴れていて水が生き生きとしており、目を凝らすと小さなブラウン・トラウトが泳いでいるのが見えました。
冷たくて美味しい水で喉の渇きが癒されるような、清々しい気分を味わえる美しい村でした。

古くて素敵な家が並んでいる洗練された町並み(村なのに)。

流れる水が生き物のように見えるらしく、目を凝らすB&B。ホテルのテラス脇を流れる小川。

水源地に近い村はずれの瀟洒な館。

この村を代表するかのように、被写体にされている萱葺き屋根の家。

クレソン畑と傍の水車のある家。畑に沿ってコスモスなどの楚々たる花が植えられている。

2013年8月18日日曜日

ある夏の朝、花が咲き、実の生る庭にて

ブログを始めて一年が過ぎ、この稿がちょうど100稿目になります。
とにかく毎日綴る、という当初の目標はとっくに放棄してしまいましたが、それでも平均すると3.65日に1稿というペースでUPした自分に『ホウ!』と少し感心します。でも2週間以上インターヴァルが空いたりするのは良くありませんね。
ハイ、気をつけま~す。もっと頑張りま~す。自分を褒めたり叱ったりしております。

昨日、夫が蜂の巣を突っつきました!(文字通り、本当の話)
庭の柚子の木の中に白いボールが引っかかっていると思い、棒で突いて落とそうとしたら、落ちずに壊れて、中から蜂が、それこそ蜂の巣を突いたような大騒ぎをしてワ~ンと出てきたのだそうです。
しかし意外にも、夫はクマのプーさんのように攻撃されることもなく、蜂さん達はすぐに何事も無かったかのように静かに巣に戻ったようで、暫くしてから、夫が止めるのを聞かずに私が恐る恐る近寄ってみても大丈夫でした。
一昨年だったか、裏の家との境に生えている毒ローリエの木に巣を作られた時には、裏の家の人が発見し、刺されると死ぬから処理しないと危険だと騒ぐので、必死になって彼方此方に電話して養蜂家に来て貰い、思わぬ出費をしました。
ネットで調べたら、どうやらそれほど危険な種類ではなさそうで、そっとしておいてあげたら大丈夫そうです。スプレーで自分で駆除することも可能らしいけれど、気の毒だし、寒くなればいなくなるらしいし、様子を見ようと思います。

今年は春が寒かったせいか、庭の花や畑の野菜も遅れ気味です。
いつもなら今頃キュウリが採れ過ぎて、ご近所やら友人、知人に配っても配っても追いつかず、1年分のピクルスを作ったり、佃煮まで作って冷凍したりするのですが、今年は毎朝数本ずの収穫しかありません。そのかわり、7月に3週間も暑かったおかげで、トマトはけっこう出来ており、毎朝摘むのが楽しみです。今、干しトマトにトライしています。成功したら嬉しいな…。
ちょうど1年前のブログには、収穫したカボチャの写真がUPされておりましたが、今年はやっと大きくなって色が濃くなりだしたところです。

ラリックのVOLUBILISの鉢を連想させる朝顔。野生化して勝手に咲くけれど、年々花が小さくなっている。

近所中の庭に必ず咲いているHIBISCUS(日本名はムクゲ)。どんどん増えて、庭中これだらけ。夏を実感させる花。

tomate cerise(チェリー・トマト)は可愛くて、甘くて、美味しい。

去年できたカボチャの種から出来たpotimarronレッド・クリ。大きな花の中に太った蜂がうずくまっている。

星のようなヒトデのような形のキュウリの花。

2013年8月16日金曜日

串かつ "BON" セ・ボン!

最近、初めてのレストランに行ってもカメラを持っていなかったり、食べる事に集中するあまり撮影するのを忘れたりで、グルメレポートが滞っておりました。
昨夜は未だ慣れていないスマフォで使い勝手が悪く、あまり撮れませんでしたが、せっかくの出合いだったので、レポートします。
今年の春にミシュラン赤ガイドが出たばかりの頃、ペラペラ見ていて偶然発見し、ずっと気になっていたBon Kushikatsu (串かつ『凡』)にやっと行きました。
大阪の本店はミシュランの星一つ持っている有名店らしいですね。揚物は好きなのですが、家中が匂うからとウチのシェフはなかなか揚げてくれませんし、パリでは揚物の専門店は昔2軒ほどあったけれど今は知っている所は無いし、という訳で絶対に行きたかったお店だったのです。

スッキリとした趣味の良い内装で、とても清々しいお店でした。シェフをはじめ、サーヴィスの人達も親切で感じが良く、大変気分良く食事をしました。
一口サイズの串揚げも1本ずつ丁寧に仕事がされており、次は何か?とワクワクして飽きません。衣は薄く、油っこさも無く、サクッと軽い揚物はいくらでも食べられます。
鮭、海老、帆立、鰻、ベーコン、鴨、フォア・グラ、蓮根、トマトクリームコロッケ、トウモロコシ、チーズ、抹茶アイス、後何があったかしら…?生野菜の盛り合わせ(お代わり自由)や茶蕎麦(一口)、炊き込みご飯と味噌汁も出ました。
お酒も進んで、ビール、田酒、サンセールの白と色々飲んでしまい、満腹でビュンビュン飛ばして帰って来ました。

秋になって魚貝が美味しくなる頃、また行こうと思います。

左の銅で出来たお釜のような所で揚げてるらしいが、客席からは揚げてるのが見えないし、音も匂いもしないのでいつの間に揚げたの?って毎回思ってしまう。

3種類のソースと山椒塩、生野菜、レモン絞りなどが整然とセットされた食卓。

とても美味しかった鰻。凡の字を書いたソースでいただく。

牛蒡の香りが立つご飯。自家製の昆布の佃煮も、ダシの効いた味噌汁も美味。

2013年8月3日土曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その18-

【アール・デコのガラス】1910年代から1930年代まで 《ラリックのガラス》

『アール・デコ』という時代様式を表す言葉が生まれ,様式が定着したのは1925年以降なのですが、1910年代に既にこのスタイルの基本的なコンセプトと実例が表れ始め、1920~30年代に世の隅々まで普及し、1940年代に終焉したいわば二つの世界大戦の狭間に世界中に自然発生した様式であり、流行だったのです。
工芸ガラスの世界もこの時期大きな転換期を迎えました。アール・ヌーヴォーのガラスは、その様式特有の耽美性、自然に倣った写実性から必然的に1点1点手作業される部分が多かった訳ですが、アール・デコの場合はよりシンプルで無機質なデザイン性から、作業が機械化され合理化されて量産が可能になったのです。工芸ガラスといえども『工』の比重が『芸』よりも重くなったとも言えましょう。
一方で一品一作主義を貫き、『芸』に徹した作家もいたのですが、目指す方向や方法こそ違え、いずれの場合も造形的また美学的には共通したコンセプトが見られます。すなわち、シンプルでシンメトリックなライン、デザイン化(図案化)された装飾、モノトーンもしくはコントラストのはっきりした色使いなど、それまでのガラスとは全く性格が違います。
また、この時代には電気が普及した為、工芸ガラスに照明器具という新たなジャンルが加わりました。
(アール・デコに関する私の過去のブログもご参照下さい。)

René LALIQUE ルネ・ラリック (1860-1945)
フランスのシャンパーニュ地方のAy(アイ村)に生まれ、パリで育つ。中学校で絵を学び始め才能を発揮するが、ワインの仲買人であった父が亡くなったため学業を続けることができなくなり、16歳でパリの宝飾職人のアトリエに見習いに入る。働きながら装飾美術学校の夜学に通う。18歳から2年間ロンドンの美術学校に留学し、宝飾デザインの腕を磨くためデッサンを専門的に学び、装飾美術のコンクールなどで受賞。帰国後宝飾デザイナーとしていくつかの有名宝飾店やアトリエからの受注でデザインをするかたわら、彫刻やエッチングなどを専門家に師事して学び、自ら宝飾家になるべく研鑽を積む。1886年頃から本格的に宝飾家として工房を運営し、制作活動を始める。
1890年代からはそれまでの金や貴石重視のクラシックなジュエリーの観念を打ち破り、銀、七宝、象牙、色ガラス、パット・ド・ヴェールなどを用いたデザイン重視の斬新なアールヌーヴォー作品が注目され、各界の名士(石油王グルベンキアンや大女優サラ・ベルナールなど)を顧客に得て発展を続ける。
1900年のパリ万博ではグラン・プリに輝き、国際的評価が高まり、各国の美術館が競って作品を買い上げるなど名声を極め、ヴァンドーム広場に店を構える超一流宝飾家にまで登りつめる。
宝飾家としての絶頂期は同時にアール・ヌーヴォーの全盛期であり、アール・ヌーヴォーが衰退の兆しを見せ始めると、ラリックの耽美的で芸術的なジュエリーもまた次第に時代の嗜好に合わなくなっていった。『実用に適さない』、『不愉快なデカダンス』などの批判の声も聞こえたが、ラリックは飽くまでもアール・ヌーヴォーのジュエリー作家であった。時代に合わせて自らの美意識を曲げてまでジュエリーを作ることを拒み、ガラス作家への転身を決意する。

1912年(52歳)最後の宝飾展をヴァンドーム広場の店で催し、以後ガラスに専念する。
宝飾家時代に既にガラスを宝石と同等もしくはそれ以上に美しく見せるジュエリーを作ったほどガラスに習熟していたラリックが、ガラス作家として成功したのは当然ともいえる。
1913年にはそれまで借りていたガラス工場を買収して本格的な量産体制を敷き、高品質な量産品を作るための特殊な製法を考案し、機械を使った型押し成形や型吹き成形などによる新製品の開発をし、事業は好調に滑り出す。1914年~1918年第一次大戦のため操業は一時停止するが、戦後は新時代の動向を察知し、パリ近郊の工場を拡張する他アルザス地方に最新設備の新工場を作るなど更なる工業化への道を邁進する。こうしてラリックはアーティストであり続けながらも、立派な産業人となっていった。
1920年代後半から1930年代には後にモニュメントとなるクラスの数々の建築物、客船、列車などの内装や照明なども請け負い、ラリックのガラス作家としての名声は世界を馳せた。
作品の特徴は、アール・ヌーヴォー的な優美で写実的な面を残したものも見られるが、多くは大胆な彫刻的立体感を持ち、デザイン的で極度に洗練されたアール・デコである。
モティーフは動物、植物、神話的人物、幾何学的な連続模様など。ガラス自体は無色が最も多く、次にオパルセント(青、アンバー)、わずかに単色(赤、青、緑、アンバー、紫など)色ガラス。型押し、型吹き成形がほとんどだが、少数のシール・ペルデュ(蝋型鋳造)による一点作品もある。成形後の加飾方としては、クリアとフロストのコンビネーション、部分的なパティネやエナメル彩など。品目は香水瓶、花器、食器、照明器具、オブジェダール、装身具、カー・マスコット、インテリア建材まで多岐に及ぶ。
一見してラリックと認識できるような個性的な作品が多いが、それだけに当時より模倣も多くされ、ラリック風な他社製ガラスは限りなくあり、現代ではコピーも存在する。
1945年に亡くなる直前までリューマチで痛む身体で制作を続けた。没後は息子のマルク、孫娘のマリー・クロードとラリック社は家族によって維持されたが、2008年からはスイスの会社が経営し、現在に至る。

アール・ヌーヴォーとアール・デコという相反する装飾美術史上の二つの時代を、宝飾とガラス工芸という二つの異なる舞台で共にスターとして生きた、一人で丸々二人分の美の巨匠だけに、紹介が長くなってしまいました。

約300種に及ぶ花器より 左から (上) 1924年   (下)バッタ 1912年   (上)ダイオウ(シール・ペルデュ作品) 1913年   
 (下)渦巻き 1930年 12の立像 1920年 (上)ブシャルドン 1926年 (中)ロワイヤ 1936年 (下)瓢箪 1914年               

左から (上)皿 1931年 (下)小像 タイス 1925年 ランプ ボケ 1920年 キャラフ 人魚と蛙 1911年 (上)吊灯 コキーユ 1921年 (下)フラコン ダリア 1931年 (下)ラジエーターキャップ(カー・マスコット) 勝利 1928年 香水瓶 ユーカリ 1919年 

(左) オリエント急行コートダジュール号の内装 1928年 (右)豪華客船ノルマンディー号の食堂(1stクラス)の照明 1935年

(左)フランス、ノルマンディー地方のドゥーヴル・ラ・デリヴランドの町のシャペルヴィエルジュ・フィデルの内装と十字架 1931年 (中央)旧朝香宮邸の玄関扉(現東京都庭園美術館) 1932年  
(右)パリのショッピング・アーケードギャルリー・デ・シャンゼリゼの照明 1926年

ラリック作品は美術館級の逸品やモニュメント指定されている建造物から、我々庶民でも入手可能な実用品や装飾品まで実に幅広いことも特徴のひとつです。アンティック姉妹社のラリックのページもご参照下さい。