2013年8月18日日曜日

ある夏の朝、花が咲き、実の生る庭にて

ブログを始めて一年が過ぎ、この稿がちょうど100稿目になります。
とにかく毎日綴る、という当初の目標はとっくに放棄してしまいましたが、それでも平均すると3.65日に1稿というペースでUPした自分に『ホウ!』と少し感心します。でも2週間以上インターヴァルが空いたりするのは良くありませんね。
ハイ、気をつけま~す。もっと頑張りま~す。自分を褒めたり叱ったりしております。

昨日、夫が蜂の巣を突っつきました!(文字通り、本当の話)
庭の柚子の木の中に白いボールが引っかかっていると思い、棒で突いて落とそうとしたら、落ちずに壊れて、中から蜂が、それこそ蜂の巣を突いたような大騒ぎをしてワ~ンと出てきたのだそうです。
しかし意外にも、夫はクマのプーさんのように攻撃されることもなく、蜂さん達はすぐに何事も無かったかのように静かに巣に戻ったようで、暫くしてから、夫が止めるのを聞かずに私が恐る恐る近寄ってみても大丈夫でした。
一昨年だったか、裏の家との境に生えている毒ローリエの木に巣を作られた時には、裏の家の人が発見し、刺されると死ぬから処理しないと危険だと騒ぐので、必死になって彼方此方に電話して養蜂家に来て貰い、思わぬ出費をしました。
ネットで調べたら、どうやらそれほど危険な種類ではなさそうで、そっとしておいてあげたら大丈夫そうです。スプレーで自分で駆除することも可能らしいけれど、気の毒だし、寒くなればいなくなるらしいし、様子を見ようと思います。

今年は春が寒かったせいか、庭の花や畑の野菜も遅れ気味です。
いつもなら今頃キュウリが採れ過ぎて、ご近所やら友人、知人に配っても配っても追いつかず、1年分のピクルスを作ったり、佃煮まで作って冷凍したりするのですが、今年は毎朝数本ずの収穫しかありません。そのかわり、7月に3週間も暑かったおかげで、トマトはけっこう出来ており、毎朝摘むのが楽しみです。今、干しトマトにトライしています。成功したら嬉しいな…。
ちょうど1年前のブログには、収穫したカボチャの写真がUPされておりましたが、今年はやっと大きくなって色が濃くなりだしたところです。

ラリックのVOLUBILISの鉢を連想させる朝顔。野生化して勝手に咲くけれど、年々花が小さくなっている。

近所中の庭に必ず咲いているHIBISCUS(日本名はムクゲ)。どんどん増えて、庭中これだらけ。夏を実感させる花。

tomate cerise(チェリー・トマト)は可愛くて、甘くて、美味しい。

去年できたカボチャの種から出来たpotimarronレッド・クリ。大きな花の中に太った蜂がうずくまっている。

星のようなヒトデのような形のキュウリの花。

2013年8月16日金曜日

串かつ "BON" セ・ボン!

最近、初めてのレストランに行ってもカメラを持っていなかったり、食べる事に集中するあまり撮影するのを忘れたりで、グルメレポートが滞っておりました。
昨夜は未だ慣れていないスマフォで使い勝手が悪く、あまり撮れませんでしたが、せっかくの出合いだったので、レポートします。
今年の春にミシュラン赤ガイドが出たばかりの頃、ペラペラ見ていて偶然発見し、ずっと気になっていたBon Kushikatsu (串かつ『凡』)にやっと行きました。
大阪の本店はミシュランの星一つ持っている有名店らしいですね。揚物は好きなのですが、家中が匂うからとウチのシェフはなかなか揚げてくれませんし、パリでは揚物の専門店は昔2軒ほどあったけれど今は知っている所は無いし、という訳で絶対に行きたかったお店だったのです。

スッキリとした趣味の良い内装で、とても清々しいお店でした。シェフをはじめ、サーヴィスの人達も親切で感じが良く、大変気分良く食事をしました。
一口サイズの串揚げも1本ずつ丁寧に仕事がされており、次は何か?とワクワクして飽きません。衣は薄く、油っこさも無く、サクッと軽い揚物はいくらでも食べられます。
鮭、海老、帆立、鰻、ベーコン、鴨、フォア・グラ、蓮根、トマトクリームコロッケ、トウモロコシ、チーズ、抹茶アイス、後何があったかしら…?生野菜の盛り合わせ(お代わり自由)や茶蕎麦(一口)、炊き込みご飯と味噌汁も出ました。
お酒も進んで、ビール、田酒、サンセールの白と色々飲んでしまい、満腹でビュンビュン飛ばして帰って来ました。

秋になって魚貝が美味しくなる頃、また行こうと思います。

左の銅で出来たお釜のような所で揚げてるらしいが、客席からは揚げてるのが見えないし、音も匂いもしないのでいつの間に揚げたの?って毎回思ってしまう。

3種類のソースと山椒塩、生野菜、レモン絞りなどが整然とセットされた食卓。

とても美味しかった鰻。凡の字を書いたソースでいただく。

牛蒡の香りが立つご飯。自家製の昆布の佃煮も、ダシの効いた味噌汁も美味。

2013年8月3日土曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その18-

【アール・デコのガラス】1910年代から1930年代まで 《ラリックのガラス》

『アール・デコ』という時代様式を表す言葉が生まれ,様式が定着したのは1925年以降なのですが、1910年代に既にこのスタイルの基本的なコンセプトと実例が表れ始め、1920~30年代に世の隅々まで普及し、1940年代に終焉したいわば二つの世界大戦の狭間に世界中に自然発生した様式であり、流行だったのです。
工芸ガラスの世界もこの時期大きな転換期を迎えました。アール・ヌーヴォーのガラスは、その様式特有の耽美性、自然に倣った写実性から必然的に1点1点手作業される部分が多かった訳ですが、アール・デコの場合はよりシンプルで無機質なデザイン性から、作業が機械化され合理化されて量産が可能になったのです。工芸ガラスといえども『工』の比重が『芸』よりも重くなったとも言えましょう。
一方で一品一作主義を貫き、『芸』に徹した作家もいたのですが、目指す方向や方法こそ違え、いずれの場合も造形的また美学的には共通したコンセプトが見られます。すなわち、シンプルでシンメトリックなライン、デザイン化(図案化)された装飾、モノトーンもしくはコントラストのはっきりした色使いなど、それまでのガラスとは全く性格が違います。
また、この時代には電気が普及した為、工芸ガラスに照明器具という新たなジャンルが加わりました。
(アール・デコに関する私の過去のブログもご参照下さい。)

René LALIQUE ルネ・ラリック (1860-1945)
フランスのシャンパーニュ地方のAy(アイ村)に生まれ、パリで育つ。中学校で絵を学び始め才能を発揮するが、ワインの仲買人であった父が亡くなったため学業を続けることができなくなり、16歳でパリの宝飾職人のアトリエに見習いに入る。働きながら装飾美術学校の夜学に通う。18歳から2年間ロンドンの美術学校に留学し、宝飾デザインの腕を磨くためデッサンを専門的に学び、装飾美術のコンクールなどで受賞。帰国後宝飾デザイナーとしていくつかの有名宝飾店やアトリエからの受注でデザインをするかたわら、彫刻やエッチングなどを専門家に師事して学び、自ら宝飾家になるべく研鑽を積む。1886年頃から本格的に宝飾家として工房を運営し、制作活動を始める。
1890年代からはそれまでの金や貴石重視のクラシックなジュエリーの観念を打ち破り、銀、七宝、象牙、色ガラス、パット・ド・ヴェールなどを用いたデザイン重視の斬新なアールヌーヴォー作品が注目され、各界の名士(石油王グルベンキアンや大女優サラ・ベルナールなど)を顧客に得て発展を続ける。
1900年のパリ万博ではグラン・プリに輝き、国際的評価が高まり、各国の美術館が競って作品を買い上げるなど名声を極め、ヴァンドーム広場に店を構える超一流宝飾家にまで登りつめる。
宝飾家としての絶頂期は同時にアール・ヌーヴォーの全盛期であり、アール・ヌーヴォーが衰退の兆しを見せ始めると、ラリックの耽美的で芸術的なジュエリーもまた次第に時代の嗜好に合わなくなっていった。『実用に適さない』、『不愉快なデカダンス』などの批判の声も聞こえたが、ラリックは飽くまでもアール・ヌーヴォーのジュエリー作家であった。時代に合わせて自らの美意識を曲げてまでジュエリーを作ることを拒み、ガラス作家への転身を決意する。

1912年(52歳)最後の宝飾展をヴァンドーム広場の店で催し、以後ガラスに専念する。
宝飾家時代に既にガラスを宝石と同等もしくはそれ以上に美しく見せるジュエリーを作ったほどガラスに習熟していたラリックが、ガラス作家として成功したのは当然ともいえる。
1913年にはそれまで借りていたガラス工場を買収して本格的な量産体制を敷き、高品質な量産品を作るための特殊な製法を考案し、機械を使った型押し成形や型吹き成形などによる新製品の開発をし、事業は好調に滑り出す。1914年~1918年第一次大戦のため操業は一時停止するが、戦後は新時代の動向を察知し、パリ近郊の工場を拡張する他アルザス地方に最新設備の新工場を作るなど更なる工業化への道を邁進する。こうしてラリックはアーティストであり続けながらも、立派な産業人となっていった。
1920年代後半から1930年代には後にモニュメントとなるクラスの数々の建築物、客船、列車などの内装や照明なども請け負い、ラリックのガラス作家としての名声は世界を馳せた。
作品の特徴は、アール・ヌーヴォー的な優美で写実的な面を残したものも見られるが、多くは大胆な彫刻的立体感を持ち、デザイン的で極度に洗練されたアール・デコである。
モティーフは動物、植物、神話的人物、幾何学的な連続模様など。ガラス自体は無色が最も多く、次にオパルセント(青、アンバー)、わずかに単色(赤、青、緑、アンバー、紫など)色ガラス。型押し、型吹き成形がほとんどだが、少数のシール・ペルデュ(蝋型鋳造)による一点作品もある。成形後の加飾方としては、クリアとフロストのコンビネーション、部分的なパティネやエナメル彩など。品目は香水瓶、花器、食器、照明器具、オブジェダール、装身具、カー・マスコット、インテリア建材まで多岐に及ぶ。
一見してラリックと認識できるような個性的な作品が多いが、それだけに当時より模倣も多くされ、ラリック風な他社製ガラスは限りなくあり、現代ではコピーも存在する。
1945年に亡くなる直前までリューマチで痛む身体で制作を続けた。没後は息子のマルク、孫娘のマリー・クロードとラリック社は家族によって維持されたが、2008年からはスイスの会社が経営し、現在に至る。

アール・ヌーヴォーとアール・デコという相反する装飾美術史上の二つの時代を、宝飾とガラス工芸という二つの異なる舞台で共にスターとして生きた、一人で丸々二人分の美の巨匠だけに、紹介が長くなってしまいました。

約300種に及ぶ花器より 左から (上) 1924年   (下)バッタ 1912年   (上)ダイオウ(シール・ペルデュ作品) 1913年   
 (下)渦巻き 1930年 12の立像 1920年 (上)ブシャルドン 1926年 (中)ロワイヤ 1936年 (下)瓢箪 1914年               

左から (上)皿 1931年 (下)小像 タイス 1925年 ランプ ボケ 1920年 キャラフ 人魚と蛙 1911年 (上)吊灯 コキーユ 1921年 (下)フラコン ダリア 1931年 (下)ラジエーターキャップ(カー・マスコット) 勝利 1928年 香水瓶 ユーカリ 1919年 

(左) オリエント急行コートダジュール号の内装 1928年 (右)豪華客船ノルマンディー号の食堂(1stクラス)の照明 1935年

(左)フランス、ノルマンディー地方のドゥーヴル・ラ・デリヴランドの町のシャペルヴィエルジュ・フィデルの内装と十字架 1931年 (中央)旧朝香宮邸の玄関扉(現東京都庭園美術館) 1932年  
(右)パリのショッピング・アーケードギャルリー・デ・シャンゼリゼの照明 1926年

ラリック作品は美術館級の逸品やモニュメント指定されている建造物から、我々庶民でも入手可能な実用品や装飾品まで実に幅広いことも特徴のひとつです。アンティック姉妹社のラリックのページもご参照下さい。

2013年7月10日水曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その17-

パリも少しだけ暑くなってまいりました。
或る程度気温が上がってくれないことには、畑の野菜が育たなくて困るのです。
ご近所でも評判の、日本の種で作る我家のキュウリが無いと、夏は過ごせません。
暑いのは苦手だけれど、寒い夏というのもなんだか寂しいです。
な~んて言っていると、突然ドカーンと猛暑が来たりして、恥をかく羽目になりかねませんから、もう苦情は申しません。それこそ天任せ、成るように成れ、ケ・セラ・セラです。
と、ここまでは実は3日前の話でして…
来ました!やっぱり。猛暑というほどではありませんが30℃級の暑さが。でも風があるし、カラリとして気持ち良いです。

さて、久々に(6月は1話も書いてなかった!)ガラスのお話の続き、いってみたいと思います。

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで  《欧米諸国の作家達》

Louis Comfort TIFFANY ルイス・コンフォート・ティファニー  (1848-1933)アメリカ
世界的に有名なニューヨークの宝飾店ティファニーの経営者の息子として生まれる。家業の宝飾店の経営に関わることを拒み、自ら芸術家として生きる道を選び、複数の画家に師事し、欧米各地に遊学しながら絵画を学ぶ。
絵画、室内装飾、ガラス工芸、宝飾デザイン、その他アートディレクターとしてあらゆる装飾芸術に通じ、潤沢な資金源をバックに自らの工房ティファニー・スタジオ(1885-1928)を主催したアメリカを代表するアール・ヌーヴォーの作家である。
その幅広い創作活動の中で最も重要な部分を占めるガラス工芸は特に異彩を放って世の注目を集め、ガラス工芸史および装飾美術史上にも大きく名を残した。
主要作品としては、絵画的で色彩豊かなステンドグラスやこれを応用したランプ類、ティファニー自らファヴリル・グラスと名付けた玉虫色に輝くラスター彩(虹彩)ガラスの器や花瓶、ランプシェードなどがある。 
『ファヴリル』の語源は"手作りされた唯一無二のもの"を表す古い英語で、ティファニーのガラス作品への思いが込められている。しかし皮肉にも、彼の手法とスタイルは多くのコピーを生み、ティファニー・グラスやティファニー・ランプとまで総称される一つのジャンルを成した感がある。いわば『アメリカのガレ』的な巨人であることの証しと言うべきか。

ルイス・コンフォート・ティファニーの作品

Thomas and George WOODALL ウッダル兄弟(1849-1926 1850-1925)イギリス
トーマスとジョージの兄弟は芸術的才能豊かな家庭に生まれ、早くから音楽や美術に親しみ、地元のストアブリッジ美術学校でガラス工芸をジョン・ノースウッド(1836-1902 ローマ時代のガラスの名器『ポートランドの壷』の複製を完成させたことで有名なガラス作家。イングリッシュ・カメオ・グラスの父的存在)に学ぶ。Thomas Webb & Sons社に所属し、
師の技術やスタイルを継承したネオ・クラシックなカメオ作品の秀作を多数残した。

Ludwig MOSER ルードヴィッヒ・モーゼル(1833-1916)ボヘミア 1918年までオーストリア 現チェコ共和国
カルロヴィ・ヴァリ(独名カールスバート)に生まれ、少年時代にウィーンや地元の工芸学校に少し通った後、地元の有名なガラス彫り師の工房に見習いに入る。
1857年に独立してガラスの加飾工房と店を立ち上げる。当初は需要の多かった鏡やシャンデリアを主に制作販売していたが、やがて高級テーブルウェアを手掛け、ヨーゼフ・ホフマン、ルドルフ・ヒレルなどの名工達の協力を得てウィーンやパリの展覧会などで数々の受賞に輝き、1904年以降オーストリア王室や英国エドワード7世の御用達をつとめるまでに至る。一貫してカリ・クリスタルの透明生地にカットやグラヴュールを施したガラス器をメインとしたが、アール・ヌーヴォー期にはエナメル彩や金彩、また淡い色被せガラスにレリーフカットを施した作品を作った。
『王者達のガラス、ガラスの王者』をスローガンにモーゼル・クリスタルは健在である。
カリ・クリスタルについての稿(アンティークガラス・豆百科-その3-)もご参照ください。

Val Saint-Lambert ヴァル・サン・ランベール(1825~現在)ベルギー
1825年創業のベルギーが世界に誇るクリスタル・メーカー。リエージュの傍のヴァル・サン・ランベール修道院跡に5つのガラスメーカーのグループによって創立された工場は、時の国王達のバックアップを得て急速に成長し、20世紀初頭には5000人もの従業員を抱える巨大企業となり一時は世界一のガラスメーカーであった。2度の世界大戦や世界恐慌の影響で傾き、1970年代になって復興し現代に至る。ベルギーはフランスに劣らずアール・ヌーヴォー運動が盛んな国であっただけに、この会社のアール・ヌーヴォー期の作品は多彩で充実している。
1897年から38年間チーフデザイナーを務めたLéon LEDRUは1855年パリに生まれ、1888年にこの会社に入るまではフランスのセーヴル・クリスタル工場で働いていた人で、彼の持つ明るい人格とクリエイティヴで現代的なセンスが、Val St-Lambertのコレクションを豊かにしたといわれる。1905年から3年間、ナンシーのMULLER兄弟が招聘され、DAUM風な作品をと乞われて500種ものモデルを制作したことも忘れてはならない。MULLERについての稿(アンティーク・ガラス豆百科-その12-)もご参照ください。

Karl KÖPPING カール・ケッピング(1848-1914)ドイツ
ドレスデンとミュンヘンで化学を学んだ後、ミュンヘンの美術学校およびパリで絵画を学び、アカデミックな銅版画家として活躍する。日本美術品の蒐集を始めてよりアールヌーヴォーに目覚め、植物的な繊細な美をガラスで表現したいと思い立ち、ガラス工芸を手がける。優秀なガラス技術者の協力を得て実現された作品は、危ういまでに繊細で美しく、風に揺れる可憐な花のようにはかなげなグラスなど、非常に個性的で芸術性が高い。

Johann LOETZ Witwe レーツ(1848-1940)ボヘミア 1918年までオーストリア 現チェコ共和国
1838年に設立されたガラス工場を1848年にスザンヌ・レーツ(ヨハン・レーツ未亡人)が引継ぎ、『ヨハン・レーツ未亡人(Witwe)ガラス工場』という社名で再創業。1879年からはレーツの孫にあたるMax Ritter von Spaunマックス・リッター・フォン・シュパウン(1852-1909)が受け継ぎ、大いに発展させた。社名を変えなかったのでレーツで通っているが、実はシュパウンこそがこのガラス・メーカーを世に知らしめた立役者なのである。
彼は優秀な後術者をディレクターとして迎え入れ、自らは創作に専念し、次々と意欲的な新作を創り出しては展覧会に出品し受賞を重ねた。1895年にはレーツのガラスを最も特徴付けたラスター彩(メタリックな虹彩)ガラスの特許を得ている。ティファニーの『ファヴリル・グラス』のようにシュパウンはこれを『フェノメーン・グラス』と名づけた。1900年のパリ万博で、ガレ、ドーム兄弟、ロブマイヤー、ティファニーと並んでグラン・プリを受賞している。余談だが、ガレはこの時の受賞に関して『コピーがオリジナルと一緒に受賞するなんて…云々』とティファニーとレーツを引き合いに、ドーム兄弟が自分と並んで受賞したことを苦々しげに知人への手紙に書いたといわれる。しかし、ティファニーとレーツのラスター彩ガラスに関しては、特許も発表もほぼ同時期であり、コピー説は頷けない。

左からウッダル兄弟(上)、 トーマス・ウェッブ&サンズ(下)、モーゼル、ヴァル・サン・ランベール、ケッピング、レーツ




2013年7月2日火曜日

Antique 姉妹社は1歳になりました!

きょうから7月、パリはまだ暑くならないけれど、気分は『夏が始まった』という感じです。

私のネットショップAntique 姉妹社が1歳の誕生日を迎えました。
もう1年? まだ1年? やっと1年? ウーン、どれとも言えますね。
この1年を振り返ると、おかげさまで、まずまず好調なオープニングだったと思います。
試行錯誤を繰り返し、苦しみつつ、楽しみつつ、こだわりながら手作りで立ち上げたホームページでした。
少しずつ訪問者が増えて、お得意さまもできて、お会いしたこともないお客様から寄せられる奇跡のような信頼に、
感謝と責任を深く感じます。
そして、より良い物、美しい物を届けたいと常に願いながら、宝探しを続けております。
我ながら、素敵な仕事ができて幸せだな、と思う誕生日でした。


1周年を記念してセール開催中です。遊びに来てくださいね。


2013年6月24日月曜日

プラージュ・ブルー公園または『白鳥の湖』

前にも書いたかもしれませんが、私の住む町には公園や緑地が多く、子供達のお散歩コースは選り取り見取りです。
ゆっくり往って帰って1時間半ぐらいの最長距離コースは、PLAGE BLEUE(青いビーチ)公園です。
子供達の一番のお気に入りコースなのですが、寒い日は凍えそうになるし、暑い日はBOKUちゃんがへたるし、格好の散歩日和には夫が足が痛いから嫌だと言うし、なかなか行けません。
先日久々に行ったら、白鳥のカップルが『みにくいアヒルの子』を連れているのに出会えてラッキーでした。
折りしも子供のスポーツ祭り週間にあたってしまい、県内の小学校から遠足して来たらしい子供の群れがローラースケート競争やら、ビーチサッカーやら園内の其処此処を占領していて、いつもなら閑古鳥が鳴いている公園がお祭り騒ぎで、写真が撮れる場所も限られました。
出かけた時には素晴らしく晴れていた空も曇ってきて、あまり綺麗な写真が撮れませんでしたが、シンプルでモダン、しかも自然で大らかにデザインされた美しい公園です。
(画像をクリックして大きくして見てくださいね。)

 絵に描いたような睦まじい家族写真が撮れた。

 けっして醜くないアヒルならぬ白鳥の子達。可愛い!

 白鳥の他にカモやpoule d'eau プルドー (直訳すると水鶏。日本名はバンというらしい)も常駐している。

 大きなカナダ雁のグループ。時々私の部屋の窓から群れで飛ぶ姿が見られる。

 自然な感じに見えて、実は人工的によく設計された公園内のあちらこちら。花の趣味が私好み。

帰途へ向かうBETTYとBOKUの後姿。もっと遊んでいきたいのに…。

2013年6月17日月曜日

La Vie en Rose... バラ色の人生

またしても、しかも今回は20日間もの長期にわたってブログをさぼってしまいました。
忙しかった訳でもなく、何か事件が起きたのでもなく、何かに夢中になっていたというのでもないし、
いったい私は何をしていたのでしょう?
前回ブログを更新した時は薔薇の季節が始まろうとしていたのでしたが、せっかく薔薇の蕾が膨らんだ頃、雨がたくさん降り、咲く前に朽ちてしまったり咲いた花がすぐに散ってしまったり、やっと今頃、世の中ラ・ヴィ・アン・ローズ(バラ色の人生)になりました。

花はすべて綺麗ですが、薔薇の花の美しさには何か芸術性が感じられます。
手をかければ、かけただけ応えて綺麗に咲いてくれると言われる薔薇ですが、この頃ちっとも手入れをしていない我家の庭にも、けなげに咲いてくれました。
もっとも、かなりソヴァージュになりかけてはおりますが…。

名前を忘れてしまったけれど、オールドローズ系の大好きな薔薇。小さな蜘蛛が花の中に…
(画像をクリックして拡大してご覧下さい)

グリルに沿って沢山小さな花を咲かせる可愛い薔薇。隣にはなぜか野バラが自生して仲良く共存している。

MEILLAND系の香しい大輪の薔薇。小さな薔薇の花に大きな玉虫色のカナブンが…

ウチのカンパニュールは遅咲きで星型。芍薬も薔薇に負けてない。ジャングル化した自称(?)バラ園。

いつもウットリ見惚れているご近所の薔薇。とても上品なピンク色で、私の一番のお気に入り。