或る程度気温が上がってくれないことには、畑の野菜が育たなくて困るのです。
ご近所でも評判の、日本の種で作る我家のキュウリが無いと、夏は過ごせません。
暑いのは苦手だけれど、寒い夏というのもなんだか寂しいです。
な~んて言っていると、突然ドカーンと猛暑が来たりして、恥をかく羽目になりかねませんから、もう苦情は申しません。それこそ天任せ、成るように成れ、ケ・セラ・セラです。
と、ここまでは実は3日前の話でして…
来ました!やっぱり。猛暑というほどではありませんが30℃級の暑さが。でも風があるし、カラリとして気持ち良いです。
さて、久々に(6月は1話も書いてなかった!)ガラスのお話の続き、いってみたいと思います。
【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《欧米諸国の作家達》
Louis Comfort TIFFANY ルイス・コンフォート・ティファニー (1848-1933)アメリカ
世界的に有名なニューヨークの宝飾店ティファニーの経営者の息子として生まれる。家業の宝飾店の経営に関わることを拒み、自ら芸術家として生きる道を選び、複数の画家に師事し、欧米各地に遊学しながら絵画を学ぶ。
絵画、室内装飾、ガラス工芸、宝飾デザイン、その他アートディレクターとしてあらゆる装飾芸術に通じ、潤沢な資金源をバックに自らの工房ティファニー・スタジオ(1885-1928)を主催したアメリカを代表するアール・ヌーヴォーの作家である。
その幅広い創作活動の中で最も重要な部分を占めるガラス工芸は特に異彩を放って世の注目を集め、ガラス工芸史および装飾美術史上にも大きく名を残した。
主要作品としては、絵画的で色彩豊かなステンドグラスやこれを応用したランプ類、ティファニー自らファヴリル・グラスと名付けた玉虫色に輝くラスター彩(虹彩)ガラスの器や花瓶、ランプシェードなどがある。
『ファヴリル』の語源は"手作りされた唯一無二のもの"を表す古い英語で、ティファニーのガラス作品への思いが込められている。しかし皮肉にも、彼の手法とスタイルは多くのコピーを生み、ティファニー・グラスやティファニー・ランプとまで総称される一つのジャンルを成した感がある。いわば『アメリカのガレ』的な巨人であることの証しと言うべきか。
ルイス・コンフォート・ティファニーの作品
Thomas and George WOODALL ウッダル兄弟(1849-1926 1850-1925)イギリス
トーマスとジョージの兄弟は芸術的才能豊かな家庭に生まれ、早くから音楽や美術に親しみ、地元のストアブリッジ美術学校でガラス工芸をジョン・ノースウッド(1836-1902 ローマ時代のガラスの名器『ポートランドの壷』の複製を完成させたことで有名なガラス作家。イングリッシュ・カメオ・グラスの父的存在)に学ぶ。Thomas Webb & Sons社に所属し、
師の技術やスタイルを継承したネオ・クラシックなカメオ作品の秀作を多数残した。
Ludwig MOSER ルードヴィッヒ・モーゼル(1833-1916)ボヘミア 1918年までオーストリア 現チェコ共和国
カルロヴィ・ヴァリ(独名カールスバート)に生まれ、少年時代にウィーンや地元の工芸学校に少し通った後、地元の有名なガラス彫り師の工房に見習いに入る。
1857年に独立してガラスの加飾工房と店を立ち上げる。当初は需要の多かった鏡やシャンデリアを主に制作販売していたが、やがて高級テーブルウェアを手掛け、ヨーゼフ・ホフマン、ルドルフ・ヒレルなどの名工達の協力を得てウィーンやパリの展覧会などで数々の受賞に輝き、1904年以降オーストリア王室や英国エドワード7世の御用達をつとめるまでに至る。一貫してカリ・クリスタルの透明生地にカットやグラヴュールを施したガラス器をメインとしたが、アール・ヌーヴォー期にはエナメル彩や金彩、また淡い色被せガラスにレリーフカットを施した作品を作った。
『王者達のガラス、ガラスの王者』をスローガンにモーゼル・クリスタルは健在である。
カリ・クリスタルについての稿(アンティークガラス・豆百科-その3-)もご参照ください。
Val Saint-Lambert ヴァル・サン・ランベール(1825~現在)ベルギー
1825年創業のベルギーが世界に誇るクリスタル・メーカー。リエージュの傍のヴァル・サン・ランベール修道院跡に5つのガラスメーカーのグループによって創立された工場は、時の国王達のバックアップを得て急速に成長し、20世紀初頭には5000人もの従業員を抱える巨大企業となり一時は世界一のガラスメーカーであった。2度の世界大戦や世界恐慌の影響で傾き、1970年代になって復興し現代に至る。ベルギーはフランスに劣らずアール・ヌーヴォー運動が盛んな国であっただけに、この会社のアール・ヌーヴォー期の作品は多彩で充実している。
1897年から38年間チーフデザイナーを務めたLéon LEDRUは1855年パリに生まれ、1888年にこの会社に入るまではフランスのセーヴル・クリスタル工場で働いていた人で、彼の持つ明るい人格とクリエイティヴで現代的なセンスが、Val St-Lambertのコレクションを豊かにしたといわれる。1905年から3年間、ナンシーのMULLER兄弟が招聘され、DAUM風な作品をと乞われて500種ものモデルを制作したことも忘れてはならない。MULLERについての稿(アンティーク・ガラス豆百科-その12-)もご参照ください。
Karl KÖPPING カール・ケッピング(1848-1914)ドイツ
ドレスデンとミュンヘンで化学を学んだ後、ミュンヘンの美術学校およびパリで絵画を学び、アカデミックな銅版画家として活躍する。日本美術品の蒐集を始めてよりアールヌーヴォーに目覚め、植物的な繊細な美をガラスで表現したいと思い立ち、ガラス工芸を手がける。優秀なガラス技術者の協力を得て実現された作品は、危ういまでに繊細で美しく、風に揺れる可憐な花のようにはかなげなグラスなど、非常に個性的で芸術性が高い。
Johann LOETZ Witwe レーツ(1848-1940)ボヘミア 1918年までオーストリア 現チェコ共和国
1838年に設立されたガラス工場を1848年にスザンヌ・レーツ(ヨハン・レーツ未亡人)が引継ぎ、『ヨハン・レーツ未亡人(Witwe)ガラス工場』という社名で再創業。1879年からはレーツの孫にあたるMax Ritter von Spaunマックス・リッター・フォン・シュパウン(1852-1909)が受け継ぎ、大いに発展させた。社名を変えなかったのでレーツで通っているが、実はシュパウンこそがこのガラス・メーカーを世に知らしめた立役者なのである。
彼は優秀な後術者をディレクターとして迎え入れ、自らは創作に専念し、次々と意欲的な新作を創り出しては展覧会に出品し受賞を重ねた。1895年にはレーツのガラスを最も特徴付けたラスター彩(メタリックな虹彩)ガラスの特許を得ている。ティファニーの『ファヴリル・グラス』のようにシュパウンはこれを『フェノメーン・グラス』と名づけた。1900年のパリ万博で、ガレ、ドーム兄弟、ロブマイヤー、ティファニーと並んでグラン・プリを受賞している。余談だが、ガレはこの時の受賞に関して『コピーがオリジナルと一緒に受賞するなんて…云々』とティファニーとレーツを引き合いに、ドーム兄弟が自分と並んで受賞したことを苦々しげに知人への手紙に書いたといわれる。しかし、ティファニーとレーツのラスター彩ガラスに関しては、特許も発表もほぼ同時期であり、コピー説は頷けない。
左からウッダル兄弟(上)、 トーマス・ウェッブ&サンズ(下)、モーゼル、ヴァル・サン・ランベール、ケッピング、レーツ
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