『アール・デコ』という時代様式を表す言葉が生まれ,様式が定着したのは1925年以降なのですが、1910年代に既にこのスタイルの基本的なコンセプトと実例が表れ始め、1920~30年代に世の隅々まで普及し、1940年代に終焉したいわば二つの世界大戦の狭間に世界中に自然発生した様式であり、流行だったのです。
工芸ガラスの世界もこの時期大きな転換期を迎えました。アール・ヌーヴォーのガラスは、その様式特有の耽美性、自然に倣った写実性から必然的に1点1点手作業される部分が多かった訳ですが、アール・デコの場合はよりシンプルで無機質なデザイン性から、作業が機械化され合理化されて量産が可能になったのです。工芸ガラスといえども『工』の比重が『芸』よりも重くなったとも言えましょう。
一方で一品一作主義を貫き、『芸』に徹した作家もいたのですが、目指す方向や方法こそ違え、いずれの場合も造形的また美学的には共通したコンセプトが見られます。すなわち、シンプルでシンメトリックなライン、デザイン化(図案化)された装飾、モノトーンもしくはコントラストのはっきりした色使いなど、それまでのガラスとは全く性格が違います。
また、この時代には電気が普及した為、工芸ガラスに照明器具という新たなジャンルが加わりました。
(アール・デコに関する私の過去のブログもご参照下さい。)
René LALIQUE ルネ・ラリック (1860-1945)
フランスのシャンパーニュ地方のAy(アイ村)に生まれ、パリで育つ。中学校で絵を学び始め才能を発揮するが、ワインの仲買人であった父が亡くなったため学業を続けることができなくなり、16歳でパリの宝飾職人のアトリエに見習いに入る。働きながら装飾美術学校の夜学に通う。18歳から2年間ロンドンの美術学校に留学し、宝飾デザインの腕を磨くためデッサンを専門的に学び、装飾美術のコンクールなどで受賞。帰国後宝飾デザイナーとしていくつかの有名宝飾店やアトリエからの受注でデザインをするかたわら、彫刻やエッチングなどを専門家に師事して学び、自ら宝飾家になるべく研鑽を積む。1886年頃から本格的に宝飾家として工房を運営し、制作活動を始める。
1890年代からはそれまでの金や貴石重視のクラシックなジュエリーの観念を打ち破り、銀、七宝、象牙、色ガラス、パット・ド・ヴェールなどを用いたデザイン重視の斬新なアールヌーヴォー作品が注目され、各界の名士(石油王グルベンキアンや大女優サラ・ベルナールなど)を顧客に得て発展を続ける。
1900年のパリ万博ではグラン・プリに輝き、国際的評価が高まり、各国の美術館が競って作品を買い上げるなど名声を極め、ヴァンドーム広場に店を構える超一流宝飾家にまで登りつめる。
宝飾家としての絶頂期は同時にアール・ヌーヴォーの全盛期であり、アール・ヌーヴォーが衰退の兆しを見せ始めると、ラリックの耽美的で芸術的なジュエリーもまた次第に時代の嗜好に合わなくなっていった。『実用に適さない』、『不愉快なデカダンス』などの批判の声も聞こえたが、ラリックは飽くまでもアール・ヌーヴォーのジュエリー作家であった。時代に合わせて自らの美意識を曲げてまでジュエリーを作ることを拒み、ガラス作家への転身を決意する。
1912年(52歳)最後の宝飾展をヴァンドーム広場の店で催し、以後ガラスに専念する。
宝飾家時代に既にガラスを宝石と同等もしくはそれ以上に美しく見せるジュエリーを作ったほどガラスに習熟していたラリックが、ガラス作家として成功したのは当然ともいえる。
1913年にはそれまで借りていたガラス工場を買収して本格的な量産体制を敷き、高品質な量産品を作るための特殊な製法を考案し、機械を使った型押し成形や型吹き成形などによる新製品の開発をし、事業は好調に滑り出す。1914年~1918年第一次大戦のため操業は一時停止するが、戦後は新時代の動向を察知し、パリ近郊の工場を拡張する他アルザス地方に最新設備の新工場を作るなど更なる工業化への道を邁進する。こうしてラリックはアーティストであり続けながらも、立派な産業人となっていった。
1920年代後半から1930年代には後にモニュメントとなるクラスの数々の建築物、客船、列車などの内装や照明なども請け負い、ラリックのガラス作家としての名声は世界を馳せた。
作品の特徴は、アール・ヌーヴォー的な優美で写実的な面を残したものも見られるが、多くは大胆な彫刻的立体感を持ち、デザイン的で極度に洗練されたアール・デコである。
モティーフは動物、植物、神話的人物、幾何学的な連続模様など。ガラス自体は無色が最も多く、次にオパルセント(青、アンバー)、わずかに単色(赤、青、緑、アンバー、紫など)色ガラス。型押し、型吹き成形がほとんどだが、少数のシール・ペルデュ(蝋型鋳造)による一点作品もある。成形後の加飾方としては、クリアとフロストのコンビネーション、部分的なパティネやエナメル彩など。品目は香水瓶、花器、食器、照明器具、オブジェダール、装身具、カー・マスコット、インテリア建材まで多岐に及ぶ。
一見してラリックと認識できるような個性的な作品が多いが、それだけに当時より模倣も多くされ、ラリック風な他社製ガラスは限りなくあり、現代ではコピーも存在する。
1945年に亡くなる直前までリューマチで痛む身体で制作を続けた。没後は息子のマルク、孫娘のマリー・クロードとラリック社は家族によって維持されたが、2008年からはスイスの会社が経営し、現在に至る。
アール・ヌーヴォーとアール・デコという相反する装飾美術史上の二つの時代を、宝飾とガラス工芸という二つの異なる舞台で共にスターとして生きた、一人で丸々二人分の美の巨匠だけに、紹介が長くなってしまいました。
約300種に及ぶ花器より 左から (上)蛇 1924年 (下)バッタ 1912年 (上)ダイオウ(シール・ペルデュ作品) 1913年
(下)渦巻き 1930年 12の立像 1920年 (上)ブシャルドン 1926年 (中)ロワイヤ 1936年 (下)瓢箪 1914年
左から (上)皿 魚 1931年 (下)小像 タイス 1925年 ランプ ボケ 1920年 キャラフ 人魚と蛙 1911年 (上)吊灯 コキーユ 1921年 (下)フラコン ダリア 1931年 (下)ラジエーターキャップ(カー・マスコット) 勝利 1928年 香水瓶 ユーカリ 1919年
(左) オリエント急行コートダジュール号の内装 1928年 (右)豪華客船ノルマンディー号の食堂(1stクラス)の照明 1935年
(左)フランス、ノルマンディー地方のドゥーヴル・ラ・デリヴランドの町のシャペルヴィエルジュ・フィデルの内装と十字架 1931年 (中央)旧朝香宮邸の玄関扉(現東京都庭園美術館) 1932年
(右)パリのショッピング・アーケードギャルリー・デ・シャンゼリゼの照明 1926年
ラリック作品は美術館級の逸品やモニュメント指定されている建造物から、我々庶民でも入手可能な実用品や装飾品まで実に幅広いことも特徴のひとつです。アンティック姉妹社のラリックのページもご参照下さい。
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