2013年4月28日日曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その13-

昨日は『春の嵐』といった天気で、我家の周囲20m圏内はピンク色の花吹雪でした。
午前中は20℃以上あったのに午後には9℃ぐらいまで気温が下がり、こういうのを『花冷え』というのでしょうか。
きょうは夫が姉妹社の新着品をまとめて撮影しました。ショップへの陳列準備に取り掛かると暫くブログも書けなくなりますので、その前にガラスの話を一稿UPしておこうと思います。
アールヌーヴォーは私の好きなジャンルだけに、つい力が入り予定より延長してしまい、ご迷惑をおかけしております。
続々編ぐらいで終わるつもりが続々々々・・・になりそうなので、表示を変えました。

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《ナンシー派 Ⅳ》
ナンシー派(ECOLE DE NANCY エコール・ド・ナンシー)という言葉は、たとえば印象派とか象徴派などのように観念的な流派、傾向、スタイルといった意味合いでも使われますが、元はといえば1901年にエミール・ガレのお声がかりで結成された組合のようなグループの自称でした。
初代会長はガレ、副会長はドーム、会員にはヴィクトール・プルヴェ(画家)、マジョレル(家具作家、デコレーター)、ヴァラン(建築家)、ジャック・グリュベール(ガラス作家)、高島北海(日本画家、地質学者)を始め、ロレーヌ地方の工芸家や芸術家が集まり、地元の豊富な装飾美術、工芸などを文化的かつ商工業的に発展させようという活動を展開したものだったのです。定期的に展覧会を開いたり、印刷物などを介してナンシー派のアールヌーヴォー運動を推進し、全国的にそして世界的に広めました。
ナンシーにあるエコール・ド・ナンシー美術館にはそうしたナンシー派の装飾工芸美術の粋が結集しており、アールヌーヴォー愛好家の巡礼地の一つになっています。
ナンシー派のガラスの最終章として、ナンシー派の流れを汲むBig3以外のガラス作家を紹介いたします。

Désiré CHRISTIAN デジレ・クリスティアン(1846-1907)
エミール・ガレと同じ年に生まれ、13歳からマイゼンタールのガラス工房(ガレ親子が自社工房を立ち上げる前に契約していた工房)で働き始めた生え抜きのガラス職人で、ガレとは幼馴染み。作品は自然派でガレの影響が見られる。

Paul NICOLAS ポール・ニコラ(1875-1952)
ナンシーの美術学校で建築と絵画を学んだが1893年からエミール・ガレのガラス工房にデザイナーとして入る。植物が非常に好きで詳しく、植物学者でもあったガレの愛弟子となり、ガラスの技法を伝授される。1919年にサン・ルイガラス工場のバックアップで独立し、d'Argental ダルジョンタルのサインでナンシー派スタイルのカメオ作品を多数作った。1920年代末からはP.Nicolasのサインでアール・デコ的な作品を作り、アール・デコのガラス作家としてむしろ有名。受賞暦も多数持つ優秀なガラス作家。

André DELATTE アンドレ・ドゥラット(1887-1953)
ガラスとは無関係な様々な職業を遍歴した後、MULLER兄弟と親しくなりガラス工芸に目覚める。1919年にナンシーにアトリエを設立し、当初はMULLER工場で吹かれたガラスに加飾をしていたが、1921年にナンシー近くのJarvilleに自社工場を開き、成功する。ガレやドームに良く似たアール・ヌーヴォー作品と、カラフルなアールデコ作品とがある。

Jacques GRUBER ジャック・グリュベール(1870-1936)
ナンシーの美術学校で学んだ後、市の奨学金によりパリでギュスターヴ・モローに師事。1893年ナンシーに帰郷し、美術学校の教師、ドームで花器のデザイナー、マジョレルで家具のデザイナーなどを勤めた後1897年に独立。間もなくステンドグラスのスペシャリストとして有名になり、各地の教会、銀行、邸宅、デパート(パリのギャラリー・ラファイエットの円天井)、豪華客船の照明など大作を数多く手がける。フランスで最も著名なステンドグラス作家である。

画像は私が直接撮影したものの他、Art lorrain aux enchères, artfinding.com, ecole-de-nancy.comなどのサイトより拝借しました。説明文中のリンク(オレンジ色文字)をクリックすると、オリジナルページにジャンプし、詳細な画像や説明がご覧になれます。

デジレ・クリスティアン作オダマキ文花器  ダルジョンタル(ポール・ニコラ作)ナスタチウム文花器  ドゥラット作薔薇文吊灯

ジャック・グリュベール作ナンシー派美術館(コルバン邸)のヴェランダのステンドグラス


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