2013年4月9日火曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その10-

パリ市庁舎のセーヌ川に面した庭には木蓮の大木があり、毎年美しく花を咲かせます。
一昨日横を通ったら、いつの間にか蕾が大きく膨らんで今にも咲きそうにピンク色になっていました。
パリにも漸く遅い春が来たようです。
さて、長らく中断してしまいましたが、ガラスのお勉強を再開いたします。

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《ナンシー派 Ⅰ》
アール・ヌーヴォーは19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動です。
モダン・スタイルまた1900年スタイルとも呼ばれ、時代様式もしくは装飾美術様式のひとつとして認識されており、
うねるような植物的で複雑な曲線が特徴的です。私見ですが、ロココ様式やジャポニズムにも通ずる一種耽美的で独特なスタイルは、世紀末のあらゆる芸術に共通の妖しい美学が感じられます。
この伝染病的に流行したアールヌーヴォー運動は、工芸分野を起点として展開しました。そして素材として最も注目されたのがガラスだったのです。
ガラス工芸家に限らず、画家、陶芸家、宝飾工芸家、彫刻家、建築家などがこぞってガラスによる新しい表現の可能性に着目し、これを取り入れたり、自らガラス工芸を手がけたりしました。
こうして、それまでは主に実用のための素材であったガラスが、新たな芸術の表現素材として、更には芸術作品としてよみがえったのです。
アールヌーヴォーのガラス工芸に最初の礎石を置いたのは、パリのユジェーヌ・ルソー(1827-1891)と、ナンシーの
エミール・ガレ(1846-1904)だったといわれます。
共に1878年のパリ万博に出展し、評論家たちに絶賛され、ガラス工芸が世の注目を集めるきっかけを作ったのです。
アールヌーヴォー期のガラス工芸家は、後にパリ派とナンシー派と呼び分けられるようになるのですが、この二人の巨匠が各派の元祖、リーダーであった訳です。
作品の少ないユジェーヌ・ルソーに比べて、圧倒的に多作で組織的に工房を運営していたエミール・ガレは当時から今に至るまで知名度が高く、ガレ抜きにはアールヌーヴォーを語れないほどのビッグネームです。
作品の量のみならず、創作のスタイルや技法の独自性、芸術性、多様性でも郡を抜いており、古今東西を通じて最も著名なガラス作家と言っても過言ではないガレの作品をまずはご紹介したいと思います。

EMILE GALLE エミール・ガレについて
ガレその人についての記述は多く書かれており容易に検索することができますが、簡単にその生涯について記します。
1846年フランス東部ロレーヌ地方の都市ナンシーに生まれる。パリ生まれの父は元々画家で繊細なエナメル彩をよくするアーチストであったが、妻の実家の家業である陶器やクリスタルの販売業を受け継ぎ、これを発展させてオリジナル商品の製造販売をするなど意欲的に商売を展開していた。こうした絵心のある裕福な商人の家の一人息子として生まれたエミールは、大切にしかも大胆に育てられた。
地元での中等教育を終えた後、ドイツ留学やロンドン遊学、また合間にはマイゼンタールのガラス工場でガラス制作技術や会社経営法を学んだり、製陶工場に入り絵付けの仕事をしたりなどして、父の後継者となる為の修業をする。
こうして一通りの勉強を終えたエミール・ガレはついに1872年に自ら小さなガラス工房を作り、1874年からは父を説得して彼がサン・クレマンに持っていた製陶工場を整理させ、設備や職人をすべてナンシーに移し、陶器・ガラス工場を新設して本格的に高級ガラス器や陶器の製造を開始する。
1878年のパリ万博への出品と受賞(金メダル4個)を果たし、初めて世に美術家として名を知られるようになる。
1883年からは家具の制作も始め、寄木細工を主とする装飾的な家具はガラスに劣らず人気を博し、注文が殺到した。
この頃から亡くなる寸前の1904年まで、ほぼ毎年のように国内外の展覧会にガラス、陶器、家具などを出品し、大成功を収め続ける。
1904年、創作へのエネルギーを燃やし尽くした時代の寵児エミール・ガレは、数年前から少しずつ蝕まれていた白血病についに倒れ、9月23日、この世を去っていった。

ガレの作品は、時代や彼自身のスキルや心境の変化につれて様々な変遷を呈し、その特徴をひとことで言い表すことは不可能ですが、一部を除いてほぼ全ての作品に通ずる通奏低音のようなエレメントがあると思います。
それは、自然界への強い想い『憧れ、畏れ、愛』ではないでしょうか。生涯にわたって植物や昆虫を愛したガレは、自分のアトリエの扉に『私の根(原点)は森の奥深くに在る』と記していたとのことです。
経営センス抜群の企業家としての顔と、ナイーブで抒情的で職人的な芸術家の顔を併せ持つガレの作品が人々の心を捉え続ける魅力の源もこの辺りにあるのかも知れません。

画像はパリ装飾芸術美術館、コーニング・ガラス美術館、サザビーズ・オークション、クリスティーズ・オークション、写真家Cédric AMEYなどのサイトより拝借しました。説明文中のリンク(オレンジ色文字)をクリックすると、オリジナルページにジャンプし、詳細な画像や説明がご覧になれます。

《代表的な名作》
(左より)オダマキ文花器 1902年  『フランスの薔薇』杯 1901年  海藻と貝殻を纏った手 1904年 
(左から4点はナンシー派美術館蔵 右端は旧ルイス・C.ティファニー庭園美術館蔵 パリ・サザビーズ・オークションより)

《第一期工房作品  1874-1904年》
(左より)エナメル彩花器 1900年頃 (上)花蝶文プラフォニエ 1902-1904年 (下)月光色アイスクラック花瓶 1880年頃 (上)エナメル彩ガラス器4点 1880年頃 (下左より)鯉文花器 1878年  蜻蛉文悲しみの花瓶 1889-1890年     藤文花器 1900年頃 

《第二期工房作品  1904-1914年》
(左より)桜文ランプ 1906-1914年   ノワゼット文花器 1906-1914年   アブチロン文ランプ 1904-1906年  (上)クレマチス文小花瓶  (下)ナスタチウム文蓋物

《第三期工房作品 1918-1931年》
(左から)ボケ文花器  コモ湖風景文花器  シャクナゲ文ランプ  プラム文花器  象文花器

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