2013年4月21日日曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その12-

いつも咲くのが何処よりも遅い我家の八重桜も漸くチラリホラリ咲き始めました。
ところが、昨日からまた寒くなってきております。
明日はロワール地方にお出かけだというのに、やっぱりダウンジャケットで着膨れて歩くことになりそうです。

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《ナンシー派 Ⅲ》
ナンシー派のガラスの代名詞のようなガレ、ドームに次いで忘れてはならない名前がもう一つあります。
MULLER FRES Lunévilleのサインでお馴染みのミュレー兄弟(日本ではミューラーと呼ばれているらしい)です。

MULLER Frères ミュレー兄弟社について
1860年代~80年代にかけて9人の男子と一人の女子からなるミュレー家の子供達は、サン・ルイ・レ・ビッッチュの傍の小さな村でオーベルジュ(旅籠)を営む両親の元に生まれたが、周りにはサン・ルイやマイゼンタールなどのガラス工場があり、村人達の殆どがガラス職人という環境に生まれ育った彼らは、ほぼ全員が極自然にガラスの世界に入る。
1870年の普仏戦争でドイツ領となったこの地では17歳になった男子には兵役の義務が課せられたが、ミュレー一家はこの兵役を避ける為、順々に密かにフランス領として残ったナンシーに難民として移住する。
折りしもエミール・ガレがナンシーにガラス工房を開いたばかりの時期であり、兄弟のうち5人が入れ替わりにガレの工房に入り、ここで仕事をしながら秘法を学び取る。
1895年必要なものをしっかり身につけてガレ工房を去ったアンリが、ナンシーに近いリュネヴィルでガラスの加飾工房を起こし、これを機に続々と兄弟達が集まり、アンリ、デジレ、ユジェーヌを中心に、すぐにガレを悔しがらせるほどの大メーカーに発展させてゆく。
途中、戦争や不況で廃業した時期を経ながらも1956年までMULLERの名は続いた。

1895年から1914年までの初期の作品のサインにはMULLERの名の他にCroismareの地名が入っているもの、VSL(1905~1908年ベルギーのヴァル・サン・ランベールにデジレとユジェーヌが招聘されて制作した作品)とサインされたものがあり、この時期の作品は概して芸術性が高く、稀少です。
1919年から1935年の作品にはMULLERの名の他にFRERESもしくはFRES、LUNEVILLEが加えられています。1914~1918年の第一次大戦で、最も芸術家だったと皆が認めていた末弟ユジェーヌを失ったミュレー兄弟が弟への追悼の意味を込めて"Frères"『兄弟』をサインに付け加えることにしたとのことです。
この時期は既にアールヌーヴォーが終焉していたし、1925年以降はMULLER兄弟社もアールデコ様式の作品を制作していたにもかかわらず、何故かガレ工房同様、ミュレー工房でもナンシー派の作品を作り続けています。

MULLER作品は、技法的にはガレやドームが使った技法が全て駆使されており、中には見分けがつかないほど酷似したものも見られますが、一味違う点は、独特の色彩と混ざり具合をもつ雲のような斑文が常に素地に見られることです。この美しい雲斑は配色のパターンが何種もあり、私にはいずれも空のように見えます。

画像は私が直接撮影したものの他、サザビーズ・オークション、クリスティーズ・オークション、DROUOT.COM、lartnouveauenfrance.wordpress.comなどのサイトより拝借しました。説明文中のリンク(オレンジ色文字)をクリックすると、オリジナルページにジャンプし、詳細な画像や説明がご覧になれます。


《MULLERの花器各種》
(左より)Muller Croismareサインの花器1900年頃  VSLサインの花器2点1905-08
MULLER FRES LUNEVILLEサインの花器2点1925年頃  花蝶文 アネモネ文 

《MULLERのランプ類》

《MULLERの雲斑の色見本》
画像は全て私の新・旧コレクションの花器、ランプ、器などより


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