2013年5月26日日曜日

アンティーク・ガラス豆百科 -その15-

ちっとも天気が回復しません。
昨日の朝は5℃、日中でも8℃という寒さに加え、時折雨風も吹き荒れて最悪でした。
おまけに注文したガラスのシェードが粉々になって届き、気分も真っ黒に荒れ模様。
今朝も灰色の雲が空を覆っているけれど、なぜか晴れ間が見えて来そうな予感がして、心の気圧計も上昇中です。

と、書いたのは昨日の早朝だったのですが、私の予感が的中して午後から天気も気分も晴れました!

【アール・ヌーヴォーのガラス】19世紀末から20世紀初頭まで 《パリ派 Ⅱ》

Philippe BROCARD フィリップ・ブロカール (1831-1896)
パリ派のガラス作家の中で最も早くから、最も特異な作品を世に送り出したアーティスト。
彼は古美術品の修復を職業としていたが、或る時パリのクリュニー美術館で見たモスク・ランプに魅せられ、自らイスラム・ガラスの蒐集と技法の研究、制作に励む。試行錯誤を繰り返した末、ついに完璧にイスラム式エナメル彩ガラスの技法を独力でマスターし、1867年には万博に初出品を果たす。その後もエナメル彩ガラスの第一人者として数々の展覧会で受賞を重ねる。彼の作品は、模様を縁取りし厳密に色止めされた精緻な多色エナメル彩で素地を覆い尽くした豪華絢爛たるもので非常に美しく、13~15世紀の『イスラムの華』と称された本物のイスラム・ガラスの名品に優るとも劣らない完成度の高いものと評される。フランスの国立美術館はもとより大英博物館やコーニング・ガラス美術館にも所蔵されている。

Frères PANNIER パニエ兄弟 (1853-1935/1944)
ジョルジュとアンリのパニエ兄弟の名前を知る人は少なく、"Escalier de Cristal"エスカリエ・ド・クリスタル(クリスタルの階段)という彼等の店の名前の方が有名である。パリのオペラ座界隈に1802年から1923年まで続いた高級工芸品店で、陶磁器、クリスタル、ブロンズなどを扱い、各国の王室や有名人を顧客に持つパリのエレガンスとリュックスの象徴のような店だったという。
オーナーは何度か変わり、パニエ兄弟は1890年~1923年最後のオーナーとなった訳だが、彼等のジャポニズムとアールヌーヴォー趣味に徹した品揃えはエミール・ガレをして『恒久的展覧会』と言わしめるほどのものであったようだ。
バカラ、ガレ、ティファニー、マジョレルなど当時の一流どころに特注した品を更に彼等のアトリエで加飾し、店のサインを入れてオリジナル商品としたが、それに飽き足らず、彼等自身がデザインをしてクリシーのアペール兄弟のガラス工房で作らせたガラス作品もいくつかある。作品や商品の特徴は、ガラスやクリスタルの花瓶に鍍金したブロンズの装飾や台座を付けたリッチなジャポニズムである。

Amédée de (duc) CARANZA アメデ・ド・カランザ  (1840年代-1914年以降)
トルコのイスタンブールに生まれ、若くしてフランスに渡る。音楽家、画家、陶芸家、ガラス作家というマルチ・アーティスト。ロレーヌ地方のロンウィやボルドー、南仏などで陶芸の仕事をした後、1890年から1914年頃までピカルディーのノワイヨンという町で工芸ガラス作家兼音楽家として暮らす。第一次世界大戦中に消息を絶つ。作風は非常に装飾的で、陶芸の技法を取り入れた銀彩、虹彩ガラスが多く、スタイルはジャポニズムからアールヌーヴォー、時にアールデコ的なものまである。作品は各国の美術館に所蔵されているが、市場に出回ることは滅多にない。

Auguste JEAN オギュスト・ジャン (1830~1835-?)
もともと陶芸家であったが1870年代の初め頃からガラス作家として活躍する。作品はクリスタルリー・ド・クリシーにて制作され、1885年にこの工場がクリスタルリー・ド・セーヴルに買収されたのと同時に彼は工芸ガラス界を去り、その後の消息は不明である。作品は宙吹きした色クリスタルを飴細工のようにデフォルメしたりアプリカシオンしたりして成型した器にジャポニズムなエナメル彩の絵付けを施したものが多く、自由奔放で奇抜なフォルムは人を瞠目させた。セーヴルやルグラに彼の作風を模倣したものが見られる。

フィリップ・ブロカール1870年頃 パニエ兄弟1890年 アメデ・ド・カランザ1900年頃 オギュスト・ジャン1880~1890年

画像はオルセー美術館、liveauctioneers.com/などのサイトより拝借しました。

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