2012年11月6日火曜日

我が町、我がエリア

きょうは寒いけれど晴れました。昨日の夕方は雷雨、そして一瞬ですが霰まで降ったのですよ。
天気といえば、パリの15区で仕事をしていた頃、セーヌ河岸(左岸)にある勤務先から車で帰宅する道中セーヌ河を一回、
マルヌ河を一回渡るのですが、渡る度に天気がガラッと変わり、方角でまた変わり、30~40分の間に色々な空模様を体感したものです。パリは雨です、と言ってもパリの何処?って感じです。なんか当たり前で、どうでもよいことを言っておりますね、私。
TBSのネットラジオOTTAVAを聴きながら、番組の初めと終わりに必ず天気の話題が出るのを夫がいつも批判するのですが、これは農耕民族である我々日本人に先祖代々刷り込まれてきた独特で自然な意識なのかも知れませんね。
子供の日記も大人の日記も、書き出しは何月何日晴れ、とか書きません?軽い挨拶や手紙の枕だって時候関連の言葉ですよね。

話は変わって、昨日の散歩の時に撮った近所の写真ですが、同じ場所の今と昔です。
私の住む市の紋章にもなっていて歴史的モニュメントに指定されている18世紀の(扉のある)東屋、パヴィヨン・ド・トゥーレル。
18世紀のお城(今は市役所の別館)の庭園(10haあった)の入口に位置したとのことですが、19世紀(1885年)に我家の2軒置いて隣のお城シャトー・ド・トゥーレルが建てられた時に、本家のお城との間に新たに城壁が出来て、庭園は2分され、それ以来はこちらの新城の正門になったと、案内板に書いてあります。昔は泉や池、農園もあったそうな。
1954年にこの城壁に囲まれた城の庭園は国鉄に売却され、100軒ほどの分譲住宅が建てられました。この住宅地は小さな自治体になっており、我家もその中の一軒で、17年前から私達はここの住人なのです。
とりとめのない、だからどうした?なブログで、お退屈さまでした。


20世紀初頭の絵葉書(下は案内板に印刷されたもの)

現在(昨日の朝)の姿。住宅のためシャトーが見えないけれど健在。

現在は門柱の飾り鉢と鉄の門扉が無くなり、車道になっている。

門を入って最初の家のお庭。今は季節柄花が乏しいが、マダムが
丹精込めた園芸はいつも市のコンクールでグラン・プリを受賞している。

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