2018年4月27日金曜日

春爛漫

またまた暫くブログをさぼってしまいました。
で、とりあえず我家界隈の開花状況の記録という名目でお茶を濁しておこうか…と。
Oの誕生日お泊りディナーのリポートもしなくてはならないのですが、今ちょっと時間が無いもので。
とても気持ちの良いお天気が続き、お花が一気に咲いて、今は本当はもうリラなのだけれど、下の写真は4月18日に撮ったものです。
桜もあっという間にほぼ終わっているのですが、相変わらず遅れ遅れのブログで…。

年々花が少なくなっているウチの桜

でも、やっぱり美しい!

踏むのが躊躇われる可憐な雛菊がいっぱいの原っぱ

ご近所の家のサクランボの木と八重桜

ご近所のリンゴの花と、名前を知らない手毬系の花

森も新緑が清々しい

森の奥の我が町のお城。修復中。周りの新しい綺麗な公園はほぼ出来上がった。

参道の並木道に植えられたチューリップ。色が綺麗!

シャクナゲも咲き始めてた。この可愛い草がモネ・ド・パップかしら?

2018年4月4日水曜日

マルヌ河畔で昼食を

3月30日、私Kの誕生日ディナー(といっても午餐ですが)をするためにOと二人でマルヌ河畔のレストラン Le Quincangrogne に行って参りました。
いつもはパリのレストランでディナー(去年は特別にノルマンディー1泊付きディナー)なのですが、今回はパリ郊外の店を選びました。
家から38kmぐらい北東にあるDampmart ダマールという小さな町にある今年ミシュランの星を一つ獲得した新しいホテル・レストランです。
マルヌ河畔というのが魅力的だし、星をとったばかりだから頑張っているでしょうし、ネットで調べた限りでは綺麗な店で美味しそうだし、と期待して出かけました。
前日は快晴で春らしい日和だったのに、当日はあいにく曇り時々雨の情けない天気でしたが、なかなか素敵なお店でお料理も美味しかったのでほぼ満足の誕生日でした。
泊りがけには近過ぎるけれど、お部屋からマルヌ河の景色が眺められてホテルとしても良さそうです。
初夏ぐらいにまた食べに行きたいと思います。

ヴェランダの窓際の良い席が用意されていた。
ガラス越しで食堂内部が映り込んでしまったけれど河の流れが見えて良い景色。
暖かい季節にはテラス席が気持ち良さそう。

シックでモダンなインテリア、明るくて広々とした食堂。

アペリティフの3種のおつまみは全てスプーンでいただくクレームやジュレ。
続くアミューズは熱々のポタージュ(中身が何だったか思い出せない)。

鮪のタルタル、オリエンタル風味。
続いて帆立のポワレ、サツマイモのヴルテ、イカ墨のレース状煎餅添え。
写真に入っていないけれど添えられたスモーク風味のマッシュポテトも美味だった。

ガラス張りの厨房でシェフが調理中。厨房ヴューのお席で食事している客もいた。

焼き加減、塩加減ジャストの鴨肉。添え野菜もファルシされていて美味しかった。
チーズのワゴンもモダンシックでカッコ良い。

デザートは2種のプティ・シュー。多過ぎず、甘過ぎず、完食。
男前なシェフ、フランク・シャルパンティエ氏。

今回はお料理もお酒もお任せコース(四つ足動物のお肉はNGとリクエスト)にしましたが、ちょうど良い感じでした。
もっともこの日の夜は(私は)何も食べられない、飲めない状態でした。
鮑やラングスティーヌや舌平目の料理もあったようなので、次回はその辺も是非食べてみたいと思います。

お店のHPはこちらです。

2018年3月12日月曜日

食卓に花を咲かせましょう

もう三月も三分の一が過ぎました。時の経つのはなんと速いのでしょう!
きょうはいかにも春という暖かさ(今夕方4時半過ぎで17℃もある)で、朝BOKUを連れて『楽しい公園』に散歩に行ったら帰り道ダウンを着てるのがバカみたいに暑かったです。

2月はついにブログ1本のみ…。特に忙しくもなかったはずなのに。
今年はまめにブログを更新すると宣言したのに、有言不実行、やるやる詐欺みたいな私です。
きょうから姉妹社ショップの新着品UPの為の準備作業開始なので、またしばらくブログをサボることになります。
そこで取りあえず、春らしくお花をテーマにした新着のテーブル用品をチラ見せしちゃいます。

公園で失敬してきた早咲きの桜の小枝とウチの庭の沈丁花を食卓用ピックフラーに挿してみました。

1900年頃のエナメル彩の小さなフルーツクップ

Théodore Havilandのコンポート

Baccaratのヴェールドー・セット(水差しセット又はおやすみセット)

クリシーのクリスタルのカップ&ソーサー

ナポレオン三世時代のエナメル彩浅鉢

こんな感じで、三月の新着品は華やかなものが集まりました。乞うご期待!です。


2018年2月8日木曜日

雪が降る…

ついに雪が降りました!
5日の午後から降り始め、夕方には殆ど溶けて無くなりましたが、6日朝からは本格的に降り出してほぼ一日中チラチラと降り続け、7日の朝は10㎝以上積もっておりました。
ニュースではパリで12cmの積雪、これは約30年ぶりとのことです。
しかも寒い!普通2~3℃ぐらいの時に雪が降るようですが、今回は-1℃ぐらいで降っているのです。
今朝(8日)も5時ぐらいで-4℃でした。きょうは降らないみたいだけれど明日も降るようです。
昨日も一昨日もお昼は雪見酒しました。出かける用事も無いし、なんか嬉しい~。

6日夜18時30分頃、降る雪の中、家の前の広場で。

同じく家の前の道。

7日朝8時頃、書斎の窓から

同じくバルコニー

同じく食堂の窓から


2018年1月29日月曜日

ゴーギャン展 -その2-

相変わらず雨時々曇りの天気が続いていて、セーヌ河やマルヌ河の増水により各地に洪水が起きています。
パリとその周辺も既に洪水の被害があちらこちらに出ていて、今現在も洪水警戒地域(オレンジゾーン)になっております。
我家の辺りはセーヌ河やその支流のイエール川からは1km以上離れているので大丈夫ですが、隣町のヴィルヌーヴ・サン・ジョルジュでは洪水の被害に遭っている家がたくさんあるようです。
家を探して色々な物件を見て回っていた時、隣町の川岸の家も見て、庭からボートで川に出たり釣りが出来たりするなんて素敵!と惹かれたのですが、買わなくて正解でした。
ここ数日、Oが体調を崩し寝込んでおり、私もBokuの散歩以外ほとんど家に籠りっきりなので近隣の町の情況は実際見ておらず、大使館からのメールやネットで異常を知り驚きました。

さて、また少し間が空きましたがゴーギャン展の続きです。

《 私はタヒチに行きます、そしてそこが私の終の棲家になればと思います。貴方が愛してくださる私の芸術は、私の萌芽に過ぎません。私は彼の地にてその芽を自らの為に育てたいと願っています、原始的で野性的な状態で。》
ゴーギャンからオディロン・ルドンへ 1890年
この大きな写真パネルがタヒチ以前と以後の展示作品を隔てる階段の踊り場に掲げられていた。

《ウパウパ》(祭)または《火の踊り》或いは《悪魔は語る》1891年

《タヒチの女達》または《浜にて》1891年

《Ahaoe Feii?》(何、嫉妬してるの?)1892年

《Te Nave Nave Fenua》(芳しき大地)1892年
タヒチのイヴとも言えるこの同じ主題でパステル、モノタイプ、木版画などが作られた。

《Tehura》(テフラ)又は《タヒチ女の顔》或いは《テハマナ》木彫 1892年
テハマナ(通称テフラ)はゴーギャンの描いた多くのタヒチ女のモデルとなった少女で、彼のタヒチでの妻を兼ねていたらしい。上の絵も彼女がモデル。

《タヒチの牧歌》1892年

《Noa Noa》(芳しき香り)木版画 1893-1894年
ノアノアは、ゴーギャンが執筆したのタヒチ紀行または随想集の題名。

《I Raro Te Oviri》(私はラロ、あなたはオヴィリ)又は《パンダナスの下で》1891年


《Nave Nave Moe》(芳しき水)1894年


《Merahi Metua No Tehamana》(テハマナの祖先たち)1893年


《Manao Tupapau》(死霊が見ている)1892年


《帽子を被った自画像》1893-1894年冬
背景に上の絵が描かれている。


《 Mahana No Atua》(神の日)1894年


《Oviri》(野生)部分的に施釉された炻器 1894年


《白馬》1898年


《 Te Rerioa 》(夢)1897年


《そして彼女達の肉体の黄金》1901年


《ヴァイルマーティ》または《彼女の名はヴァイルマーティ》1897年


《Faa Iheihe》(タヒチの牧歌)1898年


《Rupe Rupe》(豊穣)または《果実の収穫》1899年


《Nave Nave Mahana》または《芳しき日々》1896年


《快楽の家》の入口の装飾パネル 木彫 1901-1902年
タヒチを去り、マルキーズ諸島のヒバ・オア島に移ったゴーギャンが建てて住んだ家のファサード。


《祈り》1903年
上のファサードの奥に展示されていた絵。


《テレーズ》と《好色な神父》木彫 1902年
《快楽の家》の入口への階段の左右に飾った彫刻で、土地のカトリック布教所の神父とその愛人と噂される召使いとを当てこすったものらしい。


《偶像(ヒナ神)のある自画像》1893年

展示作品はまだまだ在りましたが、人だかりが切れず撮れなかったり、撮ったけれどボケてたりで、何とか撮れて見られる写真だけを掲載しました。
ゴーギャンの世界、魅了されました!溢れんばかりの才能に圧倒されました。
おそらく本人は地上の楽園と夢見た土地でもっともっと自由に自分の芸術を育み、開花させたかったのだと思いますが、病や訴訟(名誉棄損で告訴され投獄もされた)や資金調達やらで体力を消耗し、惜しくも54歳の若さで世を去りました。
しかし短くも濃い滅茶苦茶な生涯を送り、あれだけ大量のしかも多彩な作品を残した怪物ゴーギャン、もっと生きていたらどんなことになっていたのでしょう。