2019年4月9日火曜日

モーリス・ラヴェルの家

もう4月8日、我家の八重桜もほぼ満開です。
12月初めに末期ガンを宣告されたBoku も頗る元気で、3月1日に13歳の誕生日を無事迎え、一昨日もプラージュブルー公園までの長距離散歩(小1時間)をクリアしました。
ブロッコリと鮭と昆布水とCanagan(ドッグフード)の食事やバイオブラン(サプリ)が効いているのか、少なくとも皮膚上には新たな腫瘍が出来ていないし、手術時に剃られた部分の毛もすっかり元通りになり、食欲旺盛(過ぎるかも)で消化も良く、とても癌患者とは思えません。

3月30日は私の誕生日で、パリの西の郊外Le Tremblay-sur-Mauldreという村にある1★レストラン『NUMERO 3』に午餐に行きました。
ここは以前から気になっていた店だったのですが、大失敗でした。
思い出しても腹立たしく、早く忘れたいので多くは語りませんし、一応撮った写真も掲載しませんが、二度と行きたくないレストランです。
料理よりも何よりも、店主のマダムの(私達に対する)接客態度が許せません。
またムカついてきたので、もうこの話はやめましょう。

食事の後、隣町Monfort l'Amauryにあるラヴェルの家の見学を予約していたのは大正解でした。
あのまま帰っていたら後味の悪さが膨らむばかりだったと思いますが、このイヴェントが格好の口直しになりました。
1回の入場者6人までのガイド付き、要予約という見学で、食事に選んだ場所のすぐ近くでもあり、お誂えの誕生日イヴェントとして我ながらナイスアイディア!と楽しみにしていたのです。
レストランから車で10分ほど走ったら着いてしまい、予約時間までに時間があったので、雑貨や花やグルメな食品など色々扱っている風変わりなセレクトショップで見たこともない美しいラナンキュラスやアネモネを買ったり、カフェのテラスで一休みしたり、予想外に素敵なこの町の雰囲気を楽しみました。

教会前の広場のカフェで一休み。教会を背に坂道を少し上がると左手に城跡公園、
その前にモーリス・ラヴェル・ミュージアムの矢印板がすぐ見つかる。

更に坂道を上るとラヴェルの家(サイトで既視)が見えてきた。
『ベルヴェデール荘』だけにかなり高台で眺めが良さそう。真ん中は家の横の下り階段道。

ベルヴェデール荘は19世紀末風な瀟洒な家だ。
壁に『モンフォール・ラモリ市は1921年から1937年までこの家に住んだモーリス・ラヴェルにオマージュを捧ぐ』と彫られた石板が掲げられている。

家の中は外見からは想像できないほど狭く奥行が無く、鰻の寝床を横にしたような不思議な間取りだった。
屋内は撮影禁止とガイドが言ったのを知ってか知らずでか、いつの間にかOはチャッカリ写真を撮っていた。
(くれぐれも転用しないで下さいね。)

どの部屋も狭いけれど、裏庭に張り出したバルコニーや窓からの展望が開けていて快適。

同じくバルコニーからの眺め。

狭い廊下や部屋の壁には浮世絵や版画の額がたくさん掛けられている。
チマチマとした装飾品が至る所に飾られていて、ラヴェルらしい。

上と同じ部屋を別の角度から撮った写真(これは見学後に買った絵葉書)

音楽室またはラヴェルの仕事部屋(これも絵葉書)
Erardエラール社のグランドピアノの上にBaccaratのシェード付き石油ランプ。
額入りの肖像画はラヴェルのお母さん(左)弟(奥)、見えないけれど右側の壁にはお父さんのも。

一通り屋内を見た後、お庭へ。斜面に建っているので裏庭から見ると完全に2階家。

ガイドによると日本庭園とのこと。斜面なので階段があり、小さいけれど美しい庭だ。

お庭と玄関の写真は絵葉書。ラヴェルの顔と家の塔が入っているのは入場券。

素晴らしく晴れた春の日の夕方、穏和なフランス人女性のガイドに別れを告げて家路に向かう私達は、昼食時の不快を忘れて何となく満ち足りた気分になっていたのでした。
ドビュッシーと並んで私の最も好きな作曲家の一人であるラヴェルが暮らした家は、ラヴェルその人と良く似て(と勝手に決めてますが)まるでお人形の家のようでした。
家も小さいけれど、家具や調度品、玩具や世界各地のお土産や絵などの装飾品に至るまで全てがちんまりと小さくて可愛らしいのです。
インテリアもすごくこだわっていて、壁の色や柄、床の敷物、飾り棚、家具などあらゆるディテールに彼の趣味が行き渡っており、実際壁のフリーズ模様などラヴェル自身が描いたのだそうです。
バスルームもまた見もので、アンティック姉妹社でも扱っているようなクリスタルのトワレット・アイテムやブラシ類、爪の手入れ用の道具一式などが整然と並べられており、お洒落で神経質なラヴェルらしさ全開でした。
昔、私のフランスでのピアノの師匠が語ってくれたラヴェルとのエピソードなど思い出しながら、ここで小さなラヴェルが独り暮らしていたのかと思うと何だか愛おしく切ない気持ちになったのでした。
フランス近代音楽を専門的に弾いてきた私が、今までラヴェルの家を訪れなかった、というかミュゼになっていることすら知らなかったのは不覚でした。
ラヴェルの家について詳しくはこちらをご参照ください。

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